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新車RA107のテストは、いい感じに滑り出している。1月25日にカタルニアでお披露目。それ以来、信頼性の向上とセットアップに取り組んできたわけだけれど、マシンのパフォーマンスは良く、開発が順調で皆喜んでいる。
この新車は、言ってみればHondaが世界をまたにかけて作り上げたマシンだ。英国ブラックリーにあるチームのファクトリーと、日本の栃木にある本田技術研究所、両方で開発したものだからね。RA107には新しいパーツがいくつもある。そんな中で、今これだけマシンの信頼性があるということは、テスト初期段階としては重要な要素だ。これまで多少の不具合は出たけれど、どれも開発に大きく影響するほどのものではなかった。
とにかく運転しやすい。バランスも良く、去年のRA106からかなり進歩していると感じる。チームのエンジニアリングディレクター、ジャッキー・エッケラートに聞いたところでは、風洞で得られた空力効果がそのままサーキットでも得られているらしい。良い兆候だ。では僕らがどれほど速いのかというと、それは他のチームがこの冬どのくらい進化したかにもよる。だからその答えは、オーストラリアの開幕戦でのお楽しみというところだ。
僕自身について話すと、前回このコラムを書いた時からここまで何週間か、すごくポジティブな日々だった。クリスマス前は肋骨のケガのせいでうまく動けなかったけれど、それが直ったから、体力トレーニングのプランをじっくり組むことができた。ジムの中とか、自転車に乗りながら汗を流すのは最高の気分だ。体調はすっかり良くなったよ。
1月は、カナリア諸島のランサローテ島でのトレーニングキャンプで幕を開けた。心肺機能の向上に重点を置いて、1週間、毎日3セッションをこなした。自転車とランニングも相当やった。
それからイギリスに戻り、グッドウッドに行ってHondaの新しいシビック・タイプRを走らせた。旧型のタイプRを進化させて、素晴らしいクルマになっている。見た目もハンドリングも最高。とにかく運転していて楽しい。F1ドライバーがそう思うんだから、公道を走る人の中でも僕の意見に納得してくれる人は多いんじゃないかな!
グッドウッドでは、抽選に当たった6人をそれぞれタイプRに乗せてサーキットで運転した。この6人の人たちは、まだ発売されていない(3月に発売される)新車に英国で初めて乗ることができたわけだけれど、それだけでなく僕のドライビングを体験する機会にもなった。僕もお客さんを乗せているときは限界ギリギリまでスピードを出すなんてことはしないけれど、コックピットで僕がどんなことができるのか見てもらいたいと思って、出来る限りプッシュしてみた。楽しんでくれたことを願うよ。
翌週はモナコ。トレーニングをして、この冬初めてのテストに備えた。天気は良かったよ。ご存知の通り、モナコは年間300日太陽が輝いているという場所だからね。モナコの丘陵に登りハードなトレーニングができた。自転車と徒歩で登るというちょっと変わった登山もやったよ。この時、スキーのストックを使って歩くことで上半身を鍛えた。
1月19日は僕の27歳の誕生日だった。記念に、フランスの南西部にある中世風の街、カルカソンヌへ友達数人と出かけた。とても美しい街なんだ。たくさんの市場があって、その週末はそうした市場で買い物をしたり、素敵なレストランに行ったりして過ごした。
そして1月24日、バルセロナに飛んで、RA106のコンセプトカーを初めて走らせた。3ヶ月以上F1マシンに乗っていなかったんだ。こんなに長い期間乗れなかったのはF1にデビューしてから初めてのことだったから、コックピットに座る瞬間が待ち遠しかった。それに何といってもRA106は去年一緒に何千キロも走った相棒。そのマシンにまた乗ることができてすごく嬉しかった。それと、新しいRA107に乗る前に、このテストでだいたいのパフォーマンス水準をつかむこともできた。
テストでは、自分自身、ここまでの調整に満足だった。特に体調面でね。それと、ブリヂストンの2007年スペックのタイヤを初めて使ったんだけれど、楽しかった。
RA107の公式発表にはカタルニアサーキットが使われた。午前中に記者会見があって、午後は新車で初走行。セットアップの基礎的な部分を少し変えたり、バランスを僕に合わせたりといった簡単な作業はいろいろあったけれど、かなり早い時間に終えることができた。これは好材料だ。それにたくさんの周回を重ねることができたという点でも良かったね。
その週の最後までバルセロナでテストをして、今度は南に向かい引き続きバレンシアでテストだった。ただ残念なことに、翌週明けの天気は最悪。すごい雨が降っていてマシンの改良どころではなかった。でも天気が良くなることを願ってテストを1日延長してみたら、案の定良くなったのでロスは取り戻せた。
メルボルンでの開幕戦、グリッドにマシンが並ぶ日まであと少し。これから何週間かは、チームにとってものすごく忙しい期間になる。毎週テスト、テスト。セットアップやパフォーマンスを改良して、初戦からスタートダッシュをかけるつもりだ。
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 ハッピー・ニュー・イヤー!
2007年のシーズンに向けて、いますごくワクワクしている。今シーズン、ホンダ・レーシング・F1・チームはかなりいい戦いができるはずだ。
僕は去年のブラジルでの最終戦以来、F1マシンを走らせていない。早く乗りたくてたまらないんだけどね。ご存知の通り、カートでのトレーニングで肋骨に細かいひびが入ってしまって、3日間あったクリスマス前のテストにも参加できなかった。肋骨はもう治って、1月下旬のバルセロナでのテストには参加するつもりだ。そのときは去年のRA106に2007年のエンジンとギアボックスを載せたコンセプトカーで走る予定になっている。
12月は、マシンには乗れなかったけれど、忙しいひと月だった。始まりは12月3日の『オートスポーツ』アワード。僕はブリティッシュ・コンペティション・ドライバー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。往年の名F1ドライバー、デイモン・ヒルとマーティン・ブランドルから授与された。2006年のパフォーマンスが、英国『オートスポーツ』誌の読者から評価されたということだから、すごく嬉しかった。
翌日はロンドンでスポンサー関係の仕事をして、その後モナコに飛んで2日過ごした。肋骨のせいであまりトレーニングはできなかったから、電話ばかりしていたよ。エンジニアにテストの様子や2007年のマシンについていろいろ聞いた。
週末にはイギリスに戻って、今度はBBCスポーツ・パーソナリティ・オブ・ザ・イヤーに出席した。これは毎年恒例で、イギリスではすごくステータスが高い賞。過去には、ジョン・サーティース、スターリング・モス、ジャッキー・スチュワート、ナイジェル・マンセル、デイモン・ヒルが受賞している。僕は、光栄にも、イギリスのスポーツマン、スポーツウーマンのトップ10に入った。元サッカー・イングランド代表のスター選手、ゲイリー・リネカーからシーズンについてインタビューされた。
次のスケジュールは12月12日、ロンドンでのレイバンのイベント。カムデンのギャラリーで開かれた。ちょうど、世界的に有名な写真家ミック・ロックの、レイバンのサングラス「ウェイファーラー」に焦点を当てた作品展が開催されていた。面白かったよ。国際的に活躍しているモデルのケイト・モスとか、興味深い人がたくさん来ていた。
翌日は僕自身がカメラの前に立っていた。雑誌の撮影だ。その後、2006年最後のヘレス合同テストに向かった。ヘレスには2日間いたけれど、まだ肋骨が完治していなかったからクルマには乗らなかった。開発中のパーツについて知りたかったのと、新しいブリヂストン・ポテンザのタイヤがどんなパフォーマンスを見せるのか確認しておきたかった。それと、こういうことは何より体験するのが一番だから、チームのテストドライバー、クリスチャン・クリエンとジェームス・ロシターがマシンについてどう言っていたのかも聞きたかった。
12月16日にイギリスに戻り、ブラックリーのファクトリーへ直行してシート合わせ。その晩はチームのクリスマスパーティだ。素晴らしかった。1000人以上の人(スタッフとそのパートナー)が出席していた。
クリスマスはイギリスで家族と過ごした。両親、姉妹たち、甥、姪、皆揃っていてすごく楽しかった。シーズン中は遠征に出てしまって、家族とはあまり会えなくなってしまうからね。
大晦日にはモナコに戻って、友達と過ごし、新年をシャンパンで祝った。ただ、肋骨が良くなって、モナコ周辺の丘で厳しいトレーニングを始めていたから、あまり遅くまでは飲まなかった。
これを書いている今は、1月4日。ランサローテへの飛行機の中だ。ランサローテではこの冬2度目のトレーニングキャンプをする。セッションは1日3回。それぞれジムワーク、水泳、自転車、ランニングに分かれている。フィットネストレーナーのマイルス・ジョンソンと理学療法士のフィル・ヤングが合流して僕にはっぱをかけてくれるだろう。楽しみだ。頑張ろう。
今回の体力トレーニングで、心肺機能と基礎体力をステップアップさせようと思っている。その後も1月いっぱいはハードなトレーニングを続けて、バルセロナでの最初のテストにはベストの状態で臨むつもりだ。
新車RA107の発表は1月25日にバルセロナで行われる。僕たちは、風洞とデザインオフィスでの開発時間をギリギリまでとったから、新車の発表が少し遅くなってしまった。デザイナーもエンジニアも、このマシンが去年のRA106より格段に進化したと自信を持っている。ただ、毎年のことだけれど、この冬は他のチームも進化しているはずだから、僕らの力を計るのはそれを見てからだね。
RA107は素晴らしいクルマのはず。速く走らせたい。
    
ホンダ・レーシング・F1・チームの2007年に向けた準備が着々と進行している。11月28日にはテスト禁止期間が明けて、チームはスペインで冬季キャンプをスタートした。僕自身はこのテストに参加できなかった。カートでのトレーニング中に肋骨2カ所にヒビが入ってしまったんだ。それでも僕はミーティングすべてに参加したいので、チームと一緒にバルセロナに行くことにした。
過去数年の例にならいHondaはクリスマス前の3回のテストで”コンセプト・カー”を使用することにしている。これは外見的には2006年のレースカー、RA106と同じだが、メカニカル・コンポーネンツは来季モデルのRA107のものを多く搭載している。
来季からはブリヂストンがF1タイヤをすべて供給することが決まっていて、僕たちも新しいタイヤパートナーとの共同作業を色々と行っている。2007年用は2006年用に比べて硬く耐久性が増しているので、性能を最大限引き出すためにこれまでとは違ったセットアップが必要になる。この原稿を書いている12月上旬までに多くの成果があったが、ニュースペックによるタイムの低下は全てのチームで1周あたり約3秒に達している。
11月のはじめ、私は毎年恒例のトレーニング・キャンプに向かった。キャンプ地には10日間滞在し、毎日3回トレーニングセッションをこなした。午前中はサイクリングと水泳、ランチの後はジム・セッションで、その後またサイクリングだ。9月と10月は、アジアでの旅が長くトレーニングを怠りがちだったので、今回のようにまとまった時間を体力づくりに割くことができて、気分的にもすっきりした。10日間、体力がぐんぐん増してくるのを感じることができて、キャンプの終わる頃には文句なしの体調に戻すことができた。
イギリスに戻ると、私はブラックリーのホンダ・レーシング・F1・チームのファクトリーを訪問した。ブラジルGPの翌週に訪れたきりご無沙汰だったので、久しぶりにみんなの顔を見られてうれしかった。午後をまるまる使って各部門に顔を出して、ニューカーに関する情報を収集した。RA107のデザイン各所でエンジニア連中がブレークスルーを成し遂げたと聞いた。これがレーストラックでのパフォーマンスにどう効いてくるのかを確かめたくて、1月のニューマシンの発表が待ちきれない思いだ。
この日の夜(11月20日)はロンドンへ向かい、アルバート・ホールでホンダ・ニュー・サークル・コンベンション2006(Honda従業員や関係会社で取り組んでいる小集団活動の世界大会)に出席した。Honda福井社長が千人を超す世界中の従業員やゲストを出迎える中、Honda Racingの関係者も大勢出席していた。昔F1と二輪の両方でワールドチャンピオンになったジョン・サーティースや、二輪ロードレースの最高峰であるロードレース世界選手権MotoGPクラスの2006年度チャンピオン、ニッキー・ヘイデンも来ていた。ニッキーとは以前グッドウッドのフェスティバル・オブ・スピードで会ったことがあるが、この再会の機会にチャンピオン獲得のお祝いを伝えることができた。
次の目的地は、私の大好きな東京。旅の目的はツインリンクもてぎで開催されるHonda Racing THANKS DAYだ。Hondaが参戦する二輪・四輪すべてのレースカテゴリからマシンが送り込まれ、所属するドライバーやライダーも多数が参加していた。F1からは、僕とアンソニー・デビッドソンと佐藤琢磨が参加した。デモ走行やサイン会を目当てに集まったファンの数は2万7500人。僕はケガをしていたので、 RA106はドライブできず、S2000に同乗してコースを一周しながらファンの声援に手を振って応えた。今回初めて参加したイベントだが、すばらしい雰囲気に感動したので、次回もぜひ参加したいと思っている。
日本のイベントに参加した関係で、ロンドンで開かれた「メイク・ア・ウィッシュ・ファンデーション」のパーティには出席できなかった。不治の病の子供たちの望みをかなえてあげようというボランティア運動には、私も数年前から協賛していて、可能な限りの助力をしたいとは思っている。というわけでパーティに出席できない代わりに、来年のイタリアGPで僕と会えて、VIP待遇でF1パドックを案内するという権利をオークションに提供したが、7万8千ポンドの値がついたときには本当に驚いた。
11月27日は、冬のテスト初日に合流するためバルセロナへ飛んだ。私自身でドライブするのは次の週のヘレス・テストからの予定だが、冬のテストへの備えを万全にする意味でも、ルーベンスやクリスチャン・クリエンとジェームズ・ロシターのテストドライバー2人の感想がどうしても聞きたかったんだ。
クリスマス前のこの時期のテストから得られる情報は、新車開発の流れの中で非常に大きな意味があるのだが、今のところ全てが計画通りに進んでいるようだ。
 翌日には上海に入って中国GPに備えた。その前上海に行ったのは、ハンガリーで初優勝を遂げた直後だったから、またあそこに戻ることができて嬉しかった。その週の最初2日間はトレーニングや観光をして過ごした。それから、レース前の水曜日にはイギリスの記者たちと夕食。レコーダーが回っていないところでジャーナリストの人たちと話が出来て、彼らのことが少し分かった気がした。リラックスして楽しめたよ。中国はチームのスポンサーにとって重要なマーケット。だからこのGPはPRが目白押しだった。GP前の木曜日には一晩で2つの催しに出席したんだ。その後も週末中ずっとパドック・クラブで忙しかった。
上海での走りには満足している。RA106はウェットでもドライでも強かったし、予選3位(ルーベンス)と4位というのはチームにとって満足のいく成績だった。ただ予選でちょっとしたアクシデントがあったのが残念だったね。キミ・ライコネンのミラーが外れて僕のマシンのノーズとヘルメットに当たったんだ。ノーズを交換しなければならなかったから、最終予選での大事な時間をロスしてしまった。
レースはウェットでスタート。最初、リアのスタンダードウェットタイヤがオーバーヒートしてヒヤッとしたけれど、トラックがドライタイヤに最適の状態になったら、マシンのハンドリングも素晴らしくなった。それからはガンガン攻めて4位。最後の3周は最高だったな。3台も抜いたんだから!
レース後の月曜日、東京へ。翌日には毎年恒例のHondaの日本GP直前記者会見。その午後はHondaの福井威夫社長と会った。ハンガリーで優勝した時以来だ。水曜日に鈴鹿へ向かったんだけれど、その前にヘリコプターで栃木に行き、Hondaの栃木研究所に寄ってそこで働くF1プログラムのスタッフに会った。
それから鈴鹿入り。日本GPに向けて集中していった。Hondaの地元レースだったからPRの仕事がたくさんあった。最初は木曜日。和田康裕HRD社長とルーベンスと僕とでHondaの鈴鹿製作所を訪ねて、3つの食堂で合計4000人もの人と会った。
今回もいい走りが出来たと思う。金曜日のプラクティスが雨で流れたせいで、予選や決勝に向けてセットアップを完成させる時間が土曜日のプラクティス1時間だけになってしまった。僕はグリッド7番手。そこからさっきも言ったように4位まで追い上げた。あとはブラジルGPに向けて集中するだけだ。シーズンをいい気分で締めくくりたいね。
最後に鈴鹿サーキットについて触れておきたい。来年、ここに戻ってこられないのは本当に残念だ。鈴鹿は世界最高峰のサーキットのうちの1つ。周回のスタートなんか、文字通りコックピットの中で息を呑んでしまうほどだ。出来るだけ早く、鈴鹿に戻ってこられるよう願っている。鈴鹿のようなサーキットは世界中ほかにないのだから。
 ハンガリーGPの後、前回のコラムを書いてからしばらくは地に足が着いていないような感じだった。上海から東京、パリ、ロンドン、イビサ島、そしてイスタンブールへ。長い時間、宙を漂っていた気がする。
もちろん、ハンガリーGPは僕のキャリアの中で最高の出来事だった。F1での優勝はF1ドライバーなら誰もが願うことだし、僕にとっても夢が現実になった瞬間だった。でも、あれが始まりであってほしいね。
優勝したことでホンダ・レーシング・F1チームの皆も大興奮だった。何年も、優勝の瞬間を目指して頑張ってきたのだから。レース後のピットガレージは沸き返っていたよ。ブラックリーと日本、両方のスタッフ全員の努力が実ったんだ。
   
ハンガリーの後、最初のスケジュールは上海でのPRイベント。上海にはレース後の月曜午後に着いた。
翌日の朝は、中国のプロボートチームと一緒にドラゴンボートをこいだ。38度の気温の中ではかなりきつい運動だったけれど、ボートの先端の人が太鼓をたたくから、それに合わせてこぎ続けなくちゃならないんだ。午後は記者会見。100人もの地元ジャーナリストが集まっていた。その後、インタビューが4時間。どのジャーナリストからも同じ質問をされたよ。「初優勝の感想は?」と。いい気分だった。100回聞かれたけど、今でも聞かれれば嬉しいよ!
水曜日の午後5時には東京行きの飛行機に乗った。元々は日本まで行く予定はなかったのだけれど、頑張って支えてくれている日本のHondaのスタッフにもありがとうって言いたくてね。
Hondaの本社に行ったのは木曜朝。何とも言えないすごい体験だった。ビルの外側に4フロア分もの長さの大きな垂れ幕が飾ってあって“ジェンソンおめでとう”って日本語で書いてあったんだ。それから福井威夫社長が本社内を案内してくれて、400人の人たちが熱狂的に迎えてくれた。
午後、栃木研究所に行ったらここでも大歓迎。休日に入っていたのにわざわざ僕のために駆けつけてくれた人もたくさんいて、すごく嬉しかった。
日本にはほんのちょっとしかいられなかった。木曜の夜にはヨーロッパに戻らなくてはならなかったんだ。ロンドンに着いたのが金曜の朝9時。翌日までロンドンで過ごした。その夜は、家族や友達のためにパーティを企画したんだ。最高に楽しかった。来てくれた人全員と、ほとんど夜通ししゃべっていた。
土曜の朝、地中海のイビサ島へ。別荘を借りて、3週間のサマーブレーク最後の数日を満喫した。友達も何人か来て、太陽の下、リラックスして過ごしたよ。
   
少し休んでリラックスして(もちろん、ハンガリーGPのビデオを何度も見て!)、それからトルコGPに気持ちを集中させた。イスタンブールは左回りのサーキット。今季F1の中ではたった3つしかないうちの1つだ。だからこのレースに備えて、いつもの心肺機能や筋力のトレーニングの他に、首を鍛えておくことが大切なんだ。
レース前の水曜にはイビサから直接イスタンブールへ。到着早々、インターコンチネンタルホテルでインタビューを受け、それからイスタンブール・パークに向かった。木曜日にはFIAの記者会見に出席。友達のデビッド・クルサードもいた。彼と会えて嬉しかった。ハンガリーの後、彼も入れて5人の現役F1ドライバーがおめでとうのメッセージを送ってくれたんだ。
この日のPRの仕事はまだ続く。夜はチームのニック・フライCEOと一緒にヘリコプターに乗り込んでイスタンブールの中心街に行った。SEIKOのイベントに出席するためだ。ボスボラス海峡を一望できる素晴らしい眺めの場所だった。限定バージョンの時計ももらったよ。
   

で、いよいよ金曜日。RA106は最初からスピードを見せ付けた。1時間のセッションが2回あったんだけれど、どちらでも3番目に速いタイムを記録した。これなら予選や本番も期待できると嬉しくなったね。プラクティスであれだけ速かっただけに、予選6位はがっかりだった。でも古いタイヤでもかなりスピードが出せていたから、レースではミシュラン勢の中でトップになれるだろうって自信を持ったよ。
この日の夜もボスボラスの岸でPRイベントがあったから、サーキットからまたヘリコプターに乗った。それが終わってモーターホームに帰ってきて、食事をしながら映画を見た。ウェズリー・スナイプスの「ブレイド」だ。
レースでは、思っていた通りトップレベルのペースで走れた。最後の20周は上位のラップタイムを刻みながら、マクラーレンのペドロ・デ・ラ・ロサより33秒速くゴールできた。
今シーズンもあと4レース。最後まで楽しみだね。

  グランプリウイナー!なんていい言葉なんだろう。最高の気分だ。
ハンガリーGPで、ホンダ・レーシング・F1チームと僕は完璧なレースができた。運がよくて勝ったんじゃない。勝つべくして勝ったんだ。ウエットになったりドライになったり、状況がめまぐるしく変わった。他のチームはそれで苦労していたけれど、ウチは違った。目の前のチャンスを全て余すところなく活かしきったからね。
レース前、マシンには絶対の自信を持っていた。RA106はこの週末だけでもずいぶん進化していたし、そもそも前週のホッケンハイムでもかなりスピードがあったんだ。ハンガリーではさらに速くなっていた。ラップタイムも長い距離も申し分なし。
でも出だしは順調とは言えなかった。土曜朝のフリー走行でエンジンブロウし、予選前にエンジンを変えることになった。それで、予選では4位だったけれど、10グリッド降格して14番手スタート。ハンガロリンクはオーバーテイクが難しいから、厳しいレースになるだろうって思っていた。そう、あの日曜の朝、雨が降っているのを見るまではね。
コース内側は普通、路面が汚れていて、スタートでは不利なんだけれど、この日はそれがなかった。雨が汚れを洗い流してくれていたんだ。おかげでトラクションが良くて、最高のスタートが切れた。最初のコーナーで何台か抜き、その後6周は1周1台のペースでオーバーテイクしていった。7周目にはついにミハエル・シューマッハを抜いて4位に浮上だ。
この時点で表彰台は行けると思った。ラップタイムは前を行くどのマシンにも勝っていたから。僕らはミシュランのエクストリームウエットではなく、スタンダードウエットタイヤを使う作戦を採った。去年のスパでもこれで3位に入ったんだ。選択は正しかった。レース中盤、マシンの挙動は素晴らしかった。ファステストラップを連発。そしてついに、フェルナンド・アロンソがリタイアした時点でトップに立ったんだ。後ろのペドロ・デ・ラ・ロサにはかなり差をつけていた。
トップに立つと、ペースを緩めマシンをいたわることにした。最後の10周ではエンジンの回転数を減らして走った。後ろから追い上げてくるマシンもなかったから、終盤はレースを楽しむ余裕もあった。このまま永遠にレースが続けばいいって思ったくらいだ。
フィニッシュラインを越えた時は、嬉しくていろいろな感情が一気にあふれ出てきた。トップでフィニッシュするこの瞬間まで、114レースかかったんだからね。でも待ったかいがあったよ。少なくとももうこれからは「初優勝はいつになるの?」って聞かれなくてすむ。
   
チェッカーを受けて、何よりもまず無線でチームのみんなにありがとうって言った。これまで一生懸命やってくれて本当に感謝している。それから叫んだね。とにかく嬉しくて叫びまくったよ。大声を張り上げてばかりいたから、レース後のインタビューではちょっとガラガラ声になってしまった…。
この日の初優勝は、タイミングも最高だった。ちょうど、Hondaの福井社長がピットから観戦していたんだ。福井社長はHondaのF1プログラムを強力にサポートしてくれている。だからHondaの第三期初優勝を目の前で見てもらえて本当に良かった。
表彰台でのセレモニーも忘れられない。一番高い段に上がると大声援に包まれてね。国歌が流れてきた時は、誇らしさでいっぱいになった。僕はイギリス人であることを誇りに思っている。ヘルメットにユニオンジャックの色をデザインしているのもそのためだ。
表彰台から見下ろすと、大勢の人のなかに父、ジョンの姿が見えた。僕は口の動きで「サンキュー」って伝えた。今、この世界にいられるのは全て、父のおかげだからね。初めてゴーカートを運転させてくれたのも父だし、いつでも変わることなく心から応援してくれている。
ハンガリーはイギリス人にとってゲンのいいグランプリなんだ。まずナイジェル(マンセル)が1992年にタイトルを決めたのがこのGP。その翌年にはデーモン(ヒル)がF1初優勝をやはりハンガリーで飾っている。今回の僕の優勝でまたその奇縁が続くことになったわけだ。付け加えると、フェルナンド(アロンソ)も2003年にここで初優勝しているよね。いい仲間に入れたな!彼らにあやかって僕もF1でいい結果を残していきたい。
レースの後は全てが慌しく過ぎてしまった。サーキットを出発するまでにあまり時間がなかったから、短い時間でたくさんのインタビューを受けなければならなかった。日曜の夕方にはロンドンのヒースロー空港発上海行きの飛行機に乗る予定になっていたからね。そのせいでチームと一緒にちゃんと優勝祝いをすることができなかったのが残念だ。
ヒースロー空港からの飛行機に間に合うように、ハンガロリンクからブダペスト国際空港までヘリコプターをチャーターした。そこから専用機に乗ってヒースローに着くと、英国航空のボーイング747に乗り込んで香港へ。さらに乗り換えてやっと上海に着いたのは、現地時間でレース翌日の月曜の正午だ。
飛行機でシャンパンを何杯か飲んだけれど、本当の祝勝会はこの旅から帰るまでお預けだ。イギリスの実家に帰ってから、友達何人かと地中海の島へ行くんだ。そこで3週間のサマーブレイク最後の数日を過ごす。あのレースを繰り返し見て、あとはパーティだね!
でもその前の上海もすごく楽しみだ。現地の人たちがいろいろ用意してくれていてね。ドラゴンボートを漕いだり、モーターボートを運転したり、上海で最高級のスパに行ったり。いいねえ!
   
上海から東京に飛んで、栃木にあるHondaの研究所にも行く。ここの人たち皆が頑張ってくれたことが今回の優勝に結びついたんだ。近くまで行くんだから、足を伸ばして自分で感謝の言葉を伝えたい。
その次の週末からは8月27日のトルコGPに備える。同じくレーサーで友達のクリス・バンカムとリッチー・ウィリアムスと一緒にトレーニングをして、万全の状態でトルコに入れるようにするつもりだ。
次のレースまでにRA106は大幅に進歩するはず。だからトルコでも上位で戦えるだろうって期待しているんだ。イスタンブールは走りやすいサーキットだ。去年もあそこでかなりのスピードを出せたから、今年もスタートが待ちきれない。
また勝ってみせるよ!
    
スペインGPとモナコGPは、Hondaにとって正反対の結果だった。
バルセロナでのパフォーマンスは励みになった。予選ではセットアップに問題があって、最後のタイヤセットで手間どったから8番手スタート。でも、レースではマシンがぐんとよくなった。キミ・ライコネンに1.4秒差の6位。序盤でルーベンス(・バリチェロ)に少しタイムロスさせられたんだけど、あれがなければキミとの差はもっと縮まっていたんじゃないかな。
イギリスGPとカナダGPでは、RA106がグリップに苦しみ厳しいレースを強いられた。でもその後のアメリカGPでは、マシンのスピードは充分。予選もうまくいった。だから、あの第1コーナーさえなければ…かなり上位でポイントを稼げたはずだった。
実際、チームメートのルーベンス・バリチェロは6位に入ったんだから。これにはみんな元気づけられた。今後は期待できる。ホンダ・レーシング・F1チームは今、コンストラクターズポイントで4位につけている。この順位は僕らの底力を示していると思う。
残念なことに、イギリスGP、カナダGPではそれがかなわなかった。どちらのレースでもトラブルが発生してしまってね。でも、それももう解決されたはずさ。
シルバーストーンでは予選のせいで散々だった。第1ピリオドの最中、重量測定に呼ばれ、それで時間がなくなって2回目のアタックが最後までできなかった。結局そこで脱落。グリッドは19番手だった。このミスで学んだことは大きいよ。でも母国グランプリでこんな後ろからのスタートなんて。がっかりした気持ちは拭いきれなかった。去年は最前列からのスタートだったっていうのに。
レースでは、スタートから8周はうまくマシンを操ることができた。他のマシンを次々に抜いて、12番手まで順位を上げた。でもそこでオイル漏れだ。結局リタイア。ただ、ピットまで歩いて戻る途中でファンから大きな声援を受けて、僕はまだ英国の人たちからこんなに応援してもらっているとわかり、すごく嬉しかった。
このレースの後、モンツァに直行して3日間のテストをこなした。カナダGPとアメリカGPはダウンフォースを少なくするから、それに備えるには絶好の場所。低ダウンフォース用のテストでマシンはすぐに速くなった。いい感じで開発が進んだ。テスト最終日は僕がトップだったから、北米2連戦を前に良いタイミングでチームが盛り上がった。
でも、モンツァのテストではあんなに速かったのに、カナダGPでは同じようにいかなかった。レースでマシンのハンドリングに悩まされた。結果は9位。ポイント圏外に終わってしまった。
カナダGPが終わってアメリカGPまでの間、トレーナーのフィル・ヤングと友達2人と一緒にニューヨークで何泊かした。あそこは途方もない、すごい街だ。行くといつも楽しい。滞在中に野球の試合を見に行ったんだ。ヤンキース対ブレーブス。ヤンキースが4対3で勝った。野球を見に行ったのは初めてだけど、すごく楽しかった。ヤンキースの帽子とTシャツまで買ったよ。
   
カナダGPの翌週だから、マシンは変えずにアメリカGPに臨んだ。でもマシンは元々サーキット・ジル・ヴィルヌーヴよりインディのレイアウトに合っていたから、ちょっとセットアップを手直しするだけでぐんと良くなった。金曜には1時間のプラクティスセッションが2回あって、その両方でチームのサードドライバー、アンソニー・デビッドソンがトップ。それで皆の士気が一気に高まった。
ルーベンスも僕も予選トップ10内。ルーベンスは6位でフィニッシュしたけど、僕は第1コーナーでやられた。7番手から最高のスタートを切って第1コーナーのブレーキングポイントまでに順位を2つ上げたんだ。なのにファンパブロ・モントーヤにぶつけられて、後はまるでピンボール。ファン・パブロには十分なスペースを空けたつもりだよ。かなりのスペースだった。それがどうしてあんなことになったのか。単にアンダーステアになって僕に突っ込んできたのか、他のマシンに当てられたのか、いまだに分からないけど、とにかくその衝撃で僕はニック・ハイドフェルトの進路へと突き飛ばされ、そこら中をスピンして回る羽目になった。
事故の後も何とかRA106を走らせることはできたけど、残念なことにマシン内部が致命的なダメージを受けてた。エンジニアから無線で水圧が急激に落ちているって知らされた。タイヤ交換のためにピットに入ったけど、結局リタイアするしかなかった。第1コーナーの玉突き事故では僕以外に7台ものマシンがリタイアした。ポイントを獲得する絶好のチャンスを逃してしまった。
あのレースの後すぐスペインに直行した。ヘレスで大切なテストがあったんだ。空力とエンジンをあちこちアップグレードして、僕自身かなり良い印象を受けた。次のレースではいくつか新しいパーツを使う。そのフランスGPは7月16日。あそこでいいラップタイムを刻むためには、空力の効率が最重要になってくる。
でもその前に、僕は英国で開催される著名なヒステリック・モータースポーツ・イベントの「グッドウッドフェスティバル・オブ・スピード」に行くことになってる。そこでRA106をデモ走行するんだ。このフェスティバルに出るのはこれで7回目だけど、毎回楽しいよ。友達が一緒だし雰囲気も最高だからね。
 モナコの自宅で1日過ごして、今度は英国へ。デビッド&ビクトリア・ベッカム夫妻のプレ・ワールドカップパーティに出席したんだ。パーティのテーマは「等身大」と「途方もない」。それで僕は、車体をユニオンジャックの色にカラーリングした途方もない姿のS2000で会場に乗りつけたんだ。
すごいパーティだった。素敵な人たちにたくさん会えた。サッカーのイングランド代表とか、モデルのエル・マクファーソンとか。ベッカムはすごくフレンドリーだった。車が大好きなんだって。それで、彼が普段乗っている車の話で盛り上がった。それにものすごくF1に詳しいから驚いたよ。
   
パーティとしても素晴らしかったけれど、今回のイベントはUNICEFの基金集めとベッカム夫妻の子供たちのチャリティイベントでもあったんだ。僕はオークションにヘルメットを出品したよ。
翌朝モナコに戻り、レースの準備。ここ2年、レイアウトは変わっていないけど、アスファルトが塗り替えられたからグリップが大きくなっている。モナコ GPは大好きだ。コースはすごくチャレンジングで、雰囲気はいつも一種独特。バリアが近くて危険だという声が多いけれど、僕はいいと思う。カードレールのおかげでF1のスピードが体感できる。時速300マイルっていう法外なスピードで走っているような気分になれるんだ!
木曜日から準備は順調に進んだ。でも予選で、僕は最終ピリオドに進むことができなかった。今年初めてだ。第1ピリオドは予定どおりだったし、第2ピリオドでも古いタイヤで走った時は良かった。それが新しいタイヤにした途端、想像外のアンダーステアで、タイムを縮めることができなかった。結局13番手スタートだ。
マシンの状態が良くてもモナコで78周走るのはけっこうきつい。あの時の僕のようにオーバーステアに悩まされていたら余計だ。リアタイヤが駄目になってしまったせいで予定より早くピットに入った。その後は渋滞にひっかかって、フィニッシュは11位。忘れたいレースだ。
モナコからバルセロナへ。セットアップの問題を解決し、イギリスGPの準備をするためだ。テストは順調。あとは6月11日、地元ファンの前でいいレースをすることだけを願っている。トップに食い込むのはかなり厳しいと思うけど、とにかく全力で戦う!
    
いま、第5戦ヨーロッパGPの後にこのコラムを書いている。今年、今までのところ僕らは期待通りの結果が出せていない。2006年はどのレースでも優勝争いをしたいと思っていたのにそれができていない。でもそれはマシンのスピードが足りないからではない。では何が原因なのか。それはレースのたびにトラブルに見舞われることだ。決まって何かが起こって僕を邪魔する。まず開幕のバーレーンではクラッチの滑り。メルボルンではタイヤの表面温度がうまく上がらなかった。イモラではピットストップでトラブルがあって、ニュルブルクリンクではエンジンの故障。ハイレベルなチーム同士が戦うF1では、1つでもトラブルがあれば優勝など望めない。でもサンマリノGPでのピットのトラブルについては誰も責めるつもりはないよ。どのレースでもメカニックは精いっぱい頑張ってくれている。僕がこのチームに入ってから3年半の間、文字どおり何百ものピットストップを完璧にこなしてくれたんだ。1回くらい悪いときがあったって、大した痛手じゃない。
   
イモラでの最初のピットストップでは右リアタイヤの作業に手間取って5秒ロス。さらに2回目のピットストップでは、燃料ホースが取り外される前にロリーポップが上がったため僕はマシンをスタートさせてしまった。燃料の溢れはすぐに止まったけれどそれでさらに15秒をロスした。それをコースで取りかえすのは無理だろう。でも何が一番悔しかったかといえば、トラブルさえなければ表彰台に上れたはず、ということだ。マシンのスピードも戦略も申し分なかったからね。
レースの翌日は英国のブラックリーにあるチームファクトリーでレース後の恒例ミーティングに参加した。ファクトリーのスタッフ全員が集まって、開幕から 4戦で良かった点と悪かった点を分析した。この話し合いは効果絶大だった。スタッフ全員が自信を取り戻したからね。僕も今、RA106はスピードもあって今年中に優勝できる力を持ったマシンだと確信している。
ファクトリーからシルバーストーンへ行って2日間テストに参加した。初日はレインタイヤをテスト。2日目は新しい空力やメカニカルなパーツをいろいろ改善できた。僕がこなしたのは130ラップ。イモラは残念だったけれど、このテストでマシンの速さと信頼性が確認できたから、スタッフの士気はまた高まったよ。
シルバーストーンで感じたことなんだけど、今年のF1マシンは特に高速コーナーでのスピードがすごい!たとえばコプス。ドライコンディションでは去年より時速20kmもスピードが速くなっている。信じられないよ。V8エンジンが今年導入されたのはスピードを遅くするためだったのに、もうこんなに速くなっている。
シルバーストーンからモナコの自宅に戻って、週末はトレーニングをしたり友達や家族と過ごしたりした。やっぱり自分の家はいいね。今年は長いこと家を空けていたからなあ。バーレーン、マレーシア、オーストラリアと転戦している間は一度もヨーロッパに帰らなかった。オーストラリアの後すぐにバレルンガとバルセロナでテスト。それからサンマリノGPだ。今回何カ月かぶりにやっと本当の休暇がとれたというわけなんだ。
   
でもトレーニングをしたりくつろいだりしてばかりもいられなかった。ニュルブルクリンクの前週の火曜日には、今年の終わりに出版する自伝写真集のための撮影があった。モナコのいろいろな場所で撮影した。僕の愛車、ホンダS2000に乗ってコースを走ったりもしたよ。その車での撮影中、面白いことがあったんだ。グランドホテルに着いたらなんとニコ・ロズベルク(彼もモナコに住んでいる)と鉢合わせして、しかもその時、彼も僕と同じようなことをしていたんだ!
ヨーロッパGPについては、もちろん完走できなくて残念だった。でもエンジンについてはあまり心配していない。HRDのエンジニアたちには100%信頼を置いている。彼らなら問題点を見つけだして解決してくれるよ。それより、最初のタイヤセットのとき、マシンが予測できない動きをしたことが問題だった。
僕は6番手からうまくスタートをして、キミ・ライコネンと3つのコーナーに渡ってバトルを展開し、ついに彼を抑えこんだ。あれは満足だった。この時点ではハンドリングには問題がなかったのに、2周目にセーフティカーが入ったところから、マシンのバランスが悪くなり操りづらくなった。リスタートまでに何とかタイヤを温めようと手を尽くしたけれど、フロントのグリップがなくライコネンの追撃を交わすことができず、4周目、シケインの手前で抜かれてしまった。それでも僕は積極的に攻めて、21周目に1回目のピットストップをした時点で2位にまで浮上していた。タイヤを2セット目に替えたら途端にハンドリングが良くなって自信が出たから、ガンガン攻めた。それなのに28周目、ほとんど何の前触れもなくエンジンがブローしてしまった。
とにかく今はスペインGPに向けて気持ちを切り替えなければ。バルセロナはチャレンジングだし、これまで何度もRA106をテストしてきたサーキットだから、僕らがどんなに速いか見てもらえるはずだ。
     
開幕から3戦があっという間に過ぎた。今季、Hondaはライバルチームにとってかなりの脅威となるはずだ。RA106のスピードがあれば十分優勝が狙える。
バーレーンでは優勝のチャンスもあったのに結果は4位。スタートの時にクラッチトラブルが発生したせいだった。1コーナーまでで6位にポジションを下げてしまった。表彰台に上がることができなくて残念だったけれど、気持ちは弾んでいたよ。何しろRA106のスピードがトップクラスだっていうことが分かったからね。
   
その後はマナマのリッツカールトンホテルでゆっくりと過ごした。そして夜にはシンガポール。それから火曜日にクアラルンプールまでちょっと移動して昼にはKL国際空港にいた。
飛行機で夜を越すとすごく乾燥してしまう。だからその直後にはジムでのトレーニングもあまり激しくやらないのが普通だ。そういう状態でがんばり過ぎるとかえって逆効果になることがあるからね。でも今回はマレーシアGPまであと5日と迫っていたためにそうも言っていられなかった。できるだけ早くあの高温多湿に慣れたくて、火曜の午後にはトレーナーのフィル・ヤングと一緒に軽くエクササイズをこなした。
翌日の午前中にもっと充実したトレーニングができた。ランニング、ウエイト、ボクシング、深層筋と首の筋肉の強化だ。午後はリラックスタイムにしたからクアラルンプールの中心街に出かけた。異国の文化を体験したかったのと、ツインタワーの近くにあるショッピングモールで父親に新しい服をかってあげたかったんだ。で、休暇の最後は僕の大好物の鉄板焼。すごく楽しかったよ。
木曜の朝は、チームメートのルーベンス・バリッチェロと、スポーティングディレクターのジル・ド・フェランと一緒にHondaのマレーシアでの会見に出席した。本番での展望の他に、こういうハードな状況でのレースはどんな感じかを話した。気温は最低でも30度。湿度も50%を下回ることはないという環境だからとにかくタフなレースだ!その後、昼時にはサーキットに行ってエンジニアと打ち合わせをした。
金曜になってセットアップに悩まされた。グリップが全体的に少なかったんだ。一晩かけていろいろなところを修正して、予選までには何とかいい感じになった。おかげで好タイムが出せてフロントロウ。そして今季初めての表彰台をゲットした。すごく満足だった。2番目のピットストップ前に渋滞に引っかからなければ3位ではなく2位でフィニッシュできたはずだけれど、まあそういうことはレースにはつきものだからね。
   
ルーベンスと、サードドライバーのアンソニー・デビッドソンはそのレースの後バレルンガでのテストに参加するためヨーロッパに戻った。でも僕はそのまま東南アジアに残ったんだ。マレーシアからインドネシアに飛んで、スポンサーのイベントに出席したんだ。
インドネシアの首都、ジャカルタに行ったのはこれが初めてだった。楽しい驚きがたくさんあったよ。思っていたより大きな都市だったけれどみんなすごくフレンドリーだった。宿泊したホテルも素晴らしかったよ。
ジャカルタから、トレーナーのフィルと父と一緒にシドニーへ飛んだ。ブルー・ホテルに泊まって楽しいひとときを過ごした。僕らが泳いだボンディ・ビーチは波が3メートル以上にもなる。サーフィンにはもってこいのビーチだ。それと、釣りも楽しんだ。
メルボルンでのレースが近付くと、トレーニングプログラムを1日2回に増やした。どちらもホテルのジムかホテルの反対側にある50メートルのスイミングプールか近くの公園でのトレーニングだった。レースに向けて水曜日にはメルボルンへ行ったんだけれど、それまでにすごく体力がついてオーストラリアGPには100パーセントの状態で臨めた。
僕はメルボルンが大好きだ。素敵な街だし、地元の人たちはいつもF1関係者を温かく迎えてくれる。アルバートパークは好きなサーキットの一つだ。ストリートコースだからいろいろなコーナーがあって、常に何か予想もできない要素が盛り込まれている。グリップが少ないとかレーシングラインに白い線が引いてあるとかね。
   
さてサーキットでは、出だしは好調だった。金曜に2回行われたプラクティスではどちらもアンソニーがトップタイムをたたき出していた。土曜日には、あの手に汗握る予選でポールポジションをつかんだ。燃料の量はかなりいいところまでいけそうな手応えだったから、レースでも結果を出せる自信があった。
でも結局、オーストラリアGPは残念な結果に終わってしまった。いい感じでスタートして、1コーナーでもフェルナンド・アロンソを抑えた。ターン3で彼がオーバーテイクをしかけてきたときもそれを防いだ。でも1周目の後方でのアクシデントのためセーフティカーが入ってきて勝算が狂ってしまった。
メルボルンでは、タイヤがなかなか温まらないというのが僕らのアキレス腱だった。セーフティカーが入ってきてすぐに、しまったと思ったね。リスタートでフェルナンドを防ぎきれないと思った。案の定、リスタートの時にはタイヤが最適な状況ではなくなっていた。それで1コーナーでフェルナンドに抜かれてしまったというわけ。2回目のセーフティカーの時にも同じことが起こって今度はキミ・ライコネンに抜かれてしまった。3回目では2つもポジションを落としてしまったし、本当に不本意だった。
極めつけはチェッカーフラッグを目の前にしてエンジンが壊れてしまったこと。でもエンジンのトラブルについてはあまり気にしていない。エンジンメーカーが限界まで攻めている証拠だ。そういうときにはよくあることだから。
でもタイヤのトラブルは次の市街地コースであるモナコGPまでには、何としても克服しなければならない。気温も路面温度もオーストラリアより低いだろうからね。
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