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 先月と同じように、僕は今、ランサローテ島でこのコラムを書いている。この冬3度目にして最後のトレーニングキャンプ。これが終われば、ホンダ・レーシング・F1チームとの徹底的なテスト期間に突入する。
ランサローテは、毎年自分の身体がどれだけ進化したかを確かめる場だ。試験場のようなものだから、トレーナーのマイルスと療法士のマイクと一緒に、いろ いろな種類のエクササイズをこなす。この前、12月の初めにここへ来たときは、かなりトレーニングが進んだ。今週もその調子で身体を作っていきたい。
前回このコラムを書いたときから今日まで、RA107には乗っていない。でもサーキットとは別のところで大忙しだった。この間のトレーニングキャンプ最 終日、トライアスロンで2位になったあと、英国に戻り、12月13日木曜日にシルバーストーンでのPRイベントに出席した。SEIKO用にカメラの前で ポーズを取ったのだけれど、これは今度宣伝に使うらしい。それから、新しいトレーニング用の自転車も手に入れた。「スコット・スパーク」のマウンテンバイ クと「スコット・プラズマ」のトライアスロン用自転車だ。
スコット社のサービスはすばらしい。自転車に何か不具合が出たらすぐに直してくれる。乗っていて楽しい自転車だしね。プラズマのカーボンフレームは980gしかなくて、驚くほど軽い。ブレーキやギアやペダルなどの部品も最高だ。

僕が自転車に乗るときはいつも一般道を走る。自転車の楽しさはスピードではない。風の中を駆け抜けていく感じが好きなんだ。レース用の自転車で、75キ ロ、80キロ出したらもう感動ものだよ。マウンテンバイクの方も乗るのを楽しみにしているけれど、僕は、何をやるにしてもそれに溺れてしまうことはないか らご安心を。
シルバーストーンでのPRイベントのあと、土曜の朝にはロンドンへ行って、「サッカーAM」というテレビ番組に出演した。僕は子供の頃からずっとアーセ ナルのサポーターだから、ガナーズのエースストライカーだったイアン・ライトや、プロディジーというバンドのリーロイ・ソーンヒルたちと同じ番組に出られ てすごく楽しかった。インタビューの最後に、イアンと僕でレースをした。スタジオの外の駐車場で、電動四輪バイクに乗って競ったのだけれど、あまりにもス ピードが遅いものだから、最後には自分たちで押してフィニッシュラインを越えた。で、結果は胸を張って言える。僕の勝利!
その午後は、ウェンブリースタジアムで、レース・オブ・チャンピオンズ(ROC)前の記者会見に出席した。F1ドライバーも6人来ていて、たくさんの取 材陣が集まっていた。その後、1kmのサーキットに行って、ROCバギーと2007年型WRCマシンでのプラクティスセッション。特にこのプラクティスは 僕にはよかった。このイベントには初めての参加で、それまでそういったマシンに乗ったことがなかったから。
割り当てられたプラクティスが終わると、ブラックリーのチームファクトリーの近くにあるタウセスター・レースコースに向かった。チームのクリスマスパー ティがあったんだ。2007年の成績に関しては、祝うような事はあまりなかったけれど、この日のパーティの雰囲気はとてもよかった。これからのシーズンに は期待できる事がたくさんある。

翌日、12月16日は、朝8時30分にはウェンブリーに戻っていなければならなかった。ドライバーズブリーフィングと、もう少しプラクティスセッション があったんだ。ROCはまず国別対抗レースから始まった。僕は、世界ツーリングカー選手権のチャンピオン、アンディ・プリオールと組んで英国代表として 走った。彼はすばらしいドライバーで、僕らはかなりの強豪チームだったから、準決勝でドイツに負けたのは本当に悔しかった。僕は負けず嫌いだからね。
次に、いよいよレース・オブ・チャンピオンズだ。世界各国からトップドライバーが参戦していた。F1ドライバーもいたし、ラリーやNASCARやツーリ ングカーからも来ていて、見事なラインナップだった。僕は、2回戦で大接戦の末、ミハエル・シューマッハに負けてしまった。でも彼も僕もレースを楽しんで いた。
期待していたような成績ではなかったけれど、ROCはすばらしいイベントだった。母国の観衆の前でパフォーマンスできてうれしかった。来年のイベントが楽しみだ。
ROCのあとはモナコで1週間。寒かったけれど、何とか新しい自転車でトレーニングできた。自転車の感触も抜群だった。

クリスマスは親戚と過ごした。シーズン中は旅から旅だから、なかなか会えない。リラックスしたムードで、本当に楽しかった。そして大晦日は、ガールフレ ンドと一緒だった。正直言って、07年が終わるのを見るのはうれしかった。チームにとってつらい一年だったからね。今は、新しいシーズンに期待している。
1月3日に飛行機に乗って、今いるランサローテへ来た。このトレーニングキャンプには8人のドライバーが参加しているのだけれど、みんな、相当たくましくなっている。いい戦いが見せられると思う。
ランサローテから帰ったら、1月11日にロンドンで「シルク・ド・ソレイユ」を見に行くつもりだ。壮観だろうな。それから、12日の土曜にはバーミンガムでオートスポーツ・インターナショナル・ショーに出席する。
それが終われば、残りのテストセッションと、1月29日に公開される新マシンに集中する。次のコラムを書くまでには、RA108を走らせているはずだ。第一印象を伝えられるのを楽しみにしているよ。
ではまた。

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 前回このコラムを書いたあと、ホンダ・レーシング・F1・チームでは重大な契約がまとまった。ロス・ブロウンが僕らのチーム代表になったのだ。元フェラーリのテクニカルディレクターであり、ミハエル・シューマッハを7度のタイトルに導いた名エンジニア。功績は誰もが知っている。チームにとっても世界中のHondaファンにとっても大歓迎のニュースだ。彼は、F1の勝ち方や、テクニカルチームのまとめ方を熟知している。その指導の下、チームがトップ争いに復帰できることを願っている。ただもちろん、一晩で奇跡が起こるなんて考えているわけではない。2007年は厳しいシーズンだった。実際にマクラーレンとフェラーリに迫ることができるようになるためには、まだ越えなければならない大きな山がある。
僕個人について言うと、来季に向かって準備は順調だ。ブラジルで閉幕したあと、2回、バルセロナとヘレスでテストに参加し、ランサローテで2度のトレーニングキャンプをこなした。読んでもらえば、この何週間か、すごく忙しかったことが分かってもらえると思う。
最初のキャンプは11月の第1週だった。7年間療法士を務めてくれたフィル・ヤングが辞めてオーストラリアで新生活を始めたため、今回はマイク・コリアが新しく療法士として来てくれて初めてのトレーニングキャンプだ。マイクはとてもきっちりしていて、トレーナーのマイルス・ジョンソンも僕を相当追い込んでくれたからキャンプはうまくいった。毎日3回のセッションをこなし、トライアスロンの大会にも出て3位に入った。
そのあと英国に戻ってセイコーのPRイベントに出席。競技で勝った人たちをS2000に乗せてシルバーストーンを走った。僕自身も楽しかったし彼らも喜んでくれたと思う。
それからバルセロナに飛び、サーキット・デ・カタルーニャでこの冬の初テストに参加した。来年から義務化される標準エレクトロニック・コントロール・ユニット(ECU)を初めて使ってみて、いい感じで走れた。このECUには、ドライバーエイドがついていない。つまり、トラクション・コントロールも、エンジン・ブレーキング・コントロールもなし。運転していて楽しかった。スロットルをスムースにうまく扱わなければならないけれど、これが僕のドライビングスタイルには合っているんだ。
テストのあと、ガールフレンドと会い、彼女の誕生日を一緒に祝った。それから英国に戻り、ブラックリーでエンジニアに会って新しいマシンの開発状況を見た。でもまだ、RA108がどれくらい速くなるかについては、予測は控えておこう。
英国には長くはいられず、2日後は日本への飛行機に乗っていた。日本では、PR活動がたくさん待っていた。まず11月22日木曜日に東京に着くと、そのまま都心にあるフジテレビのビルに行き、いろいろな人に会い、インタビューも受けた。フジテレビのビルをよく知らない人のために付け加えると、ものすごく大きくて壮観なビルだ。
それから、もてぎでの「Honda Racing THANKS DAY」。友人のF1ドライバー佐藤琢磨やほかのHondaのドライバーたち、また世界各国の二輪ライダーたちも一緒だった。何万人ものファンに見つめられて、素晴らしい体験だった。
このイベントにはRA107を持ち込んで、ロードコースとオーバルコースを走らせた。デモ走行をするだけでよかったのに、ついついスピードを出してしまった。ロードコースでは、コースが良く分かっていたから良かったけれど、オーバルでは結構怖かったな。F1マシンはオーバルで走るように設計されていないから。
イベントのあとは東京に戻ってディナー。グランド・ハイアット・ホテルにある「けやき坂」という素敵なレストランだった。初めてミシュランの星を獲得したばかりということだったけれど、料理もサービスも一流だった。ディナーを終え、数人でキャバン・クラブへ行って、お気に入りのバンドの演奏を聴いた。このバンド、僕はビートルズのトリビュートバンドでは世界一だと思う。今年の日本GPのあと初めて聴いて、もう感動。この夜もすばらしいライブだった。是非英国ツアーをしてもらいたい!
翌日はヨーロッパに帰り、モナコの自宅で数日トレーニングなどをして過ごした。11月29日の木曜にはブラックリーへ飛んで、エンジニアに会い、来年の RA108用モックアップでシート合わせをした。それが済むと、ロンドンに行き、事務所のスタッフをディナーに誘ってクリスマスパーティだ。すばらしいスタッフに恵まれて僕は本当にラッキーだと思う。この夜は最高の気分だった。
翌日の夜は、「Xファクター」という、今英国で人気の番組の収録に行った。これは、音楽の新人発掘番組で、友人のダニー・ミノーグが審査員の1人になっている。とても面白かったよ。
日曜の夜には、オートスポーツ・アワードに出席。BRDCスターズ・オブ・トゥモローへのプレゼンターを務め、友人にもたくさん会った。F1から大勢の人が来ていて、ホンダ・レーシング・F1・チーム関係者も多かった。
翌日は、ウェンブリー・スタジアムでのレース・オブ・チャンピオンズの記者発表。英国代表は、世界ツーリングカー選手権のチャンピオン、アンディ・プリオールと僕だ。何人かのジャーナリストを乗せて仮設コースを走ったりした。イベントは12月6日。今から待ちきれない。
記者発表を終えると、ヘレスに行き、この冬2度目のテストに参加した。このテストでも標準ECUの開発がまた一段と進んだ。それから、スリックタイヤも試した。僕自身、F1でスリックタイヤを履くのは初めての体験だったけれど、なかなか面白かった。ブリヂストンから供給された試験用スリックは、各チーム 3セット。これを履いた途端、マシンがこちらの予測通りの動きをするようになった。
どのチームもそうだったけれど、僕らも2009年のレギュレーションに合わせてタイヤ・ウォーマーを使わなかったから、スリックを温めるのにはてこずった。ただ一端温まると、今のグルーブタイヤと比べて1周2秒くらいタイムが縮まった。このテストにはロス・ブロウンも来ていたから、彼の考えをマシンに反映できてよかったと思う。
ヘレスからモナコに戻り、すぐに飛行機に乗ってまたランサローテへ。そこでこのコラムを書いている。マイルスは、僕のために厳しいトレーニングメニューを組んでいることだろう。ランニング、自転車、水泳……。

ではまた。
よいクリスマスを。

ジェンソン
    

苦しいシーズンだった。正直、終わってホッとしている。成績が振るわず、ホンダ・レーシング・F1・チームのスタッフはみんな、つらい思いをしていた。でももう過ぎたこと。
2007年シーズン、ドライバーとして、僕はいい仕事をしたと満足している。マシンの性能を最大限引き出せたし、これまでのキャリアの中で最高といえる走りができたレースもあった。開幕の頃は、今年は1ポイントも取れないかもしれないという感じだったのが、終わってみれば6ポイント。
たくさんのことを学んだ。RA107が走らせづらかった分、セットアップの問題を解決するためエンジニアとともに、懸命に作業をした。マシンが進歩した時は本当に充実した気分になれたものだ。
チームとしても成長した。マシンのことだけではない。厳しい時期を経て、みんな、お互いを深く理解し合った。おかげで僕たちは、より強く固い絆で結ばれた。これは、今後に向けた財産になるだろう。
今は、2008年シーズンに全力投球している。あと4ヶ月もすればメルボルンでの開幕戦。マシン開発に残された時間はそう多くはないが、今年よりは格段に進歩できるはずだ。自信がある。今年は、新しい人材がたくさん加わった。特に空力部門での補強が多い。彼らの仕事が実を結ぶのを楽しみにしている。
前回このコラムを書いたのは、中国GPの直後だった。あの後、僕は2008年に向けての準備を始めた。上海を5位で終えるとすぐに飛行機に乗り、トレーニングキャンプのためオーストラリアのバイロン湾へ。既にかなりのレベルになっていた心肺機能を維持するため、自転車、ランニング、水泳を数多くこなし、ミニ・トライアスロンなどの大会にも参加した。
バイロン湾では、ガールフレンドのフローレンスと合流し、毎日トレーニングの後、いろいろなところに出かけた。イルカやザトウクジラや鷲や蛇を見たり、スキューバダイビングをしたり。ただ、少し前の嵐のせいで、海の中が、期待していたほど澄んでいなかったのが残念だった。
中国GPとブラジルGPの間の週末は、マイアミで3日間過ごした。時差に慣れるためだ。療法士のフィル・ヤングと一緒にジムワークに精を出した。インテルラゴスは反時計回りだから、特に左側の首を強化した。サンパウロに向けて飛び立つ前には町を観光して回った。
ブラジル行きの飛行機は6時間遅れていた。更に、やっと飛び立ったと思ったら、1時間半行ったところで、技術的なトラブルのためマイアミに逆戻り。その後はターミナルでトラブルが解消されるのを待ち、ようやくブラジルにたどり着いたのは木曜の午後10時30分。予定より12時間遅れだった。おかげで、シーズンの最終戦に向けて、理想的な滑り出しとはとてもいえない状況だった。
インテルラゴスでは、RA107は動きがトリッキーだった。この週末はずっとグリップに苦しみ、バランスも思い通りではなかった。予選は16番手。レースでは最初のスティントで佐藤琢磨に行く手を阻まれ、やっと抜いたのが13周目。そうしたら途端に1周1.7秒も速くなった。でも喜びもつかの間で、それからいくらも走らないうちに21周でエンジントラブルのためリタイアとなってしまった。厳しいシーズンは、最後まで残念な結果で終わった。
でもサーキット以外では、サンパウロを満喫した。あそこは、大きく活気に満ちた町だ。気に入りのシュラスコ専門店「フォーゴ・デ・チャオ」で食事をしたりして楽しんだ。日曜のレース後はこの町に留まり、チームの皆と打ち上げ。
ブラジルから英国に舞い戻って、家族や友達に会った。その後は、Hondaの製造工場がある英国南部のスウィンドンに行き、フィルの送別会に出席した。彼は7年間僕の療法士をしてくれたが、この冬からオーストラリアに移り、ゴールドコーストに住むことになった。フィルがいなくなると、ひとつの時代が終わったような気がする。僕の体調に異変がきたすのを、僕より早く察知して食い止めてくれた。僕は、彼の判断を心底信頼していた。これからも仲の良い親友であることに変わりはない。
新しい療法士は、マイク・コリア。2001年にベネトンで一緒にやっていたころからの知り合いだ。その後、マイクは英国のナショナルヘルスサービスで働いていた。今回、僕のところに来てくれることを承諾してくれたこと、そしてまた一緒に仕事ができることはすごく嬉しい。今年、彼はイタリアGPとベルギー GPでフィルと仕事をしたが、どちらもとてもうまく行った。
10月の終わりは、あまり仕事が入っていなかった。ブリュッセルのベル・ヘルメットに行ったくらいかな。2008年用の新しいヘルメットを作ってくれている最中で、僕の頭に完璧にフィットしているかを確かめるため頭部のスキャンを撮った。
11月1日にランサローテへ飛んで、マイクとの初めてのトレーニングキャンプに入った。元ラグビーのプロ選手だったトレーナーのマイルス・ジョンソンも来ているので、厳しい1週間になりそうだ。トレーニングの集中力を高めて、週末にはトライアスロンの大会に出場する。
その後は、モナコに戻ってこの冬最初のテストに備える。テストには新しいパーツをたくさん導入するから、これからクリスマスまで、チームにとっては1キロ1キロの走行が重要になる。トラクションコントロールが禁止されたため、ほとんどの作業は新しい電気系統のシステムが中心だろう。
トップ集団以外のチームは、ルールの変更を歓迎している。多少なりとも順位に変動が生まれるからだ。僕自身に関していえば、トラクションコントロールの禁止は僕のスムースなドライビングスタイルに合っていると思う。これからが楽しみだ。

   

 中国GPは本当にうれしかった。エキサイティングだったし、僕が5位に入ったことで、ホンダ・レーシング・F1・チームの士気も高まった。
厳しいレースだった。最初のスティントで僕のウェットタイヤがオーバーヒートしてしまって、あっという間に溝がなくなった。周りのマシンと比べると、僕のマシンはほとんどグリップがないも同然。10番手スタートから16位まで順位を落としてしまった。
そうこうするうちに乾いたラインができてきたから、すぐにピットに入ってドライタイヤに履き替えた。ピットから出て最初の周回は走りづらかったが、タイヤが温まってくるとかなり速くなった。それからはとにかくどんどん抜いていって、一時は4位に浮上した。その後2番目と最後のピットストップの間に1つ後退して5位フィニッシュだ。
僕にとって、5位というのは、いつもの年なら決していいと思える成績ではない。でも今回の上海では満足だった。うまく走れたし、4ポイントをとることができたから、チームのポイントに貢献できた。
前回このコラムを書いてから1ヶ月、とても忙しかった。イタリアGP翌日の朝にはイギリスに飛んで、チームのエアロダイナミシストたちに会った。来年のマシンの開発にとって重要な時期だったから、進行状況や今年のマシンのどの部分に改良を加えなければならないかを話し合った。
それからは翌週のベルギーGPに気持ちを集中した。RA107のスピードについて言うと、前週のモンツァほど良くはなかった。第2予選で良い走りができてなんとか14番手スタートだ。レースではずっと中盤争いの中にいたのだけれど、36周で油圧系のトラブルでリタイアしてしまった。
スパの2日後にヘレスへ向かって2007年最後のテストに参加した。来年向けの新しい空力パーツを試す、重要なテストだった。このパーツをつけて RA107のパフォーマンスが大きく変わったわけではないが、完全に風洞での予測通りの結果が出たことでチームも力を得た。風洞とサーキットがきっちり相関していることが、強いマシンを作る上で重要だから。
翌週月曜にはお台場でモータースポーツフェスティバルがあったから、それに間に合うように日本に着かなければならなかった。日本GP前に開かれるイベントだ。日本のファンにとっては、F1マシンを間近に見ることができる絶好のチャンスだと思う。僕はRA107を走らせて、何度もドーナツをやって見せたので、最後にはリアタイヤが完全にすり減ってしまっていた!
その後は、毎年恒例、日本GP前のHondaの記者会見。チームメートのルーベンス・バリチェロと僕、そしてスーパーアグリの2人のドライバーも出席した。その日は日本のメディアからの質問に答えてほとんど一日が終わった。大変な仕事だったけれど、でも東京はすごく楽しい。世界の中でも好きな街の1つだ。見るものもやることもたくさんあるし、食事が最高。僕は世界中どの場所にいても、必ず日本食の店を探す。だから日本に来ると本場の美食を満喫する。
レースに向け、木曜の朝、車で富士スピードウェイへ。このサーキットには感心した。あの1.5kmのストレートは特別な感じだ。それ以外の部分も技術的に難しいところが多くて、走っていて楽しかった。
金曜日は、このGP唯一のドライ走行だった。土曜日は雨。あまりに霧が深くて、最後のセッションは諦めなければならなかった。でも、僕としては雨のレースは大好きだし、グリッド6番手というのも満足だった。レースでの天気はひどかった。19周もセーフティカーの後をついて走りサーキットのコンディションが良くなるのを待った。いざゴーサインが出てからも、あまりにびしょびしょでレースにならないんじゃないかと思ったほどだ。あちこちで水上スキーのように滑ってしまい、視界も最悪。コース上にいる他のマシンが見えない。
僕は、まずニック・ハイドフェルトとぶつかってフロントウィングが壊れた。でもそこから2周は何とか5位をキープして走っていた。土砂降りの雨と霧で、ニックも僕が見えなかったのだと思う。結局、最終周でも佐藤選手とぶつかってサスペンションが壊れ、リタイアとなってしまった。
レースの後も2日ほど東京に残った。買い物をして、おいしい日本食をたくさん食べた。そして、ビートルズの日本人コピーバンドのライブを見た。演奏は素晴らしくて、最高の夜だった。
水曜日、中国GPのため上海に入り、その夜は英国のメディアをディナーに招待した。このディナーは毎年恒例になりつつある。僕はジャーナリストとは良い付き合いをしているからこの時も楽しかった。
レースが終わるとすぐに中国を出て、オーストラリアのバイロンベイへ。ここで2週間のトレーニングキャンプだ。トレーナーのフィル・ヤングがハードなプログラムを立ててくれたから、体調を万全にして、インテルラゴスでの最終戦に臨めると思う。
 イタリアGPは本当に良かった。8位でフィニッシュできたことで、ホンダ・レーシング・F1・チームも俄然活気付いている。特に喜んでくれたのが、ガレージで作業しているスタッフだ。今年、彼らがどんなに一生懸命やってきたかを知っているから、レース後マシンを降りたとき、彼らの晴れ晴れとした笑顔が目に入って、僕も気分が良かった。モンツァでのRA107は上々だった。新しいフロントとリアのサスペンションパーツのおかげで、燃料の量にもかかわらず、マシンバランスが良かった。だからすぐに速いタイムを刻むことができた。予選では、今季2度目のトップ10内に入ることができた。
予選後、レースでリアタイヤをいたわるためフロントウイングの一部を取り除いた。おかげでその目的は達成したが、アンダーステアがきつくなってしまい、タイムに響いた。もしそれがなければ、ヘイキ・コバライネンよりも前にいけたと思う。でも、「もし」を言い始めたらきりがない。
モンツァ用のローダウンフォースのセットアップは特殊なものだ。だが、フロントとリアの新しいサスペンションが全てのタイプのサーキットで僕らのパフォーマンスを良くしてくれればと思う。
この夏、チームの全員がRA107のパフォーマンスを上げようと全力を尽くしてきた。夏のブレイク期間は3週間あったけれど、デザインや製造チームのスタッフは全員、休日返上で作業した。これだけ見ても、チームのモチベーションがいかに高いかが分かってもらえるのではないかな。
僕は、そのハンガリーGP後の3週間、体力トレーニングに集中していた。もちろん、電話では常にチームと連絡を取っていた。
そんな中、何日かは休みをとって、ガールフレンドのフローレンスと英国からモナコまでドライブ旅行をした。その間、毎晩テントに泊まったんだ。ただ問題は、フローレンスも僕もテント設営が初めてだったこと。最初の夜の設営には1時間半もかかってしまった!
そのおかげで、トルコに着いたときはとてもリラックスした気分だった。体調も万全。焼け付くような天候の下でこれは助かった。RA107もまあまあの状態だった。特にロングランが良かった。ハンガリーGPからすれば長足の進歩だ。予選は15位だったけれど、予選後のセッションでエンジンを換えてペナルティを受けたので、21番手に降格となってしまった。後ろからのスタートだからもちろんやりきれない思いはあった。でもそんな中で良いレースが出来たと思う。10台を抜いて13位でフィニッシュできたわけだから。
レース後にはデビッド・クルサードとアレックス・ブルツと一緒にモナコに戻った。2日ほど自宅で過ごしトレーニングをして、水曜の夜、モンツァへ向けてクルマで出発した。イタリアGP前のテストがあったからだ。元々は1日だけ参加することになっていたのだけれど、雨で木曜日は半日がつぶれてしまったから、もう1日残ることにした。他のチームもほとんどが姿を見せていた。このテストで、僕らは新しいサスペンションパーツを初めて試した。マシン全体のバランスが一気に良くなったのを感じた。
金曜のテストが終わると英国に飛んだ。翌日にロンドンの近くのメイデンヘッドで友人の結婚式があったからだ。しかも式はこれだけじゃなくて、すぐに今度はサマーセットのフロームまで車を飛ばして、日曜日には友人の子供の洗礼式に出席した。たった2日の間にすごくたくさんの友人に会えて有意義な時間だった。
次の週の月曜日の朝ドイツに飛んで、20kmもあるニュルブルクリンクの北コースを、Hondaのシビック TYPE Rで走った。このコースは初めてだったが、大好きになった。特別な場所だ。普通なら、僕は何周か走れば新しいコースでも把握できる。でもここは違った。 100近くのコーナーがあって、とにかく長い。市販車に乗っていても、体感スピードはかなりのものだ。すごく狭くて、壁が間近に迫っている。
さて、火曜の夜にはモナコに戻ってきた。翌日は、友達とトレーニング。それから木曜の朝に父と合流し、イタリアGPのため、僕の愛車でモンツァを目指した。
この後のレースについて書くと、まずスパ・フランコルシャン。ここでのGPがF1に復活してくれて嬉しい。オールージュ以外にもチャレンジングなコーナーがたくさんある。ベルギーGPには是非モンツァでの勢いを持ち込みたい。このサーキットで7月にテストをした時は今ひとつだったけれど、マシンはそれから進化しているからね。
その後はいよいよ日本GPだ。チームの地元レース。富士には行ったことがないから、サーキットについては良く分からない。すごく長いストレートがあると聞いたことくらいかな。このレースで、僕らは空力関係をアップグレードする予定だから、地元ファンに良い走りが見せられると思う。
  2006年ハンガリーGPでの記念すべき優勝から、もう1年。でも今年のホンダ・レーシング・F1・チームは、去年とは違い、厳しい状況に耐え忍ばなければならなかった。僕はスロットルセンサーのトラブルのためリタイア。チームメートのルーベンス・バリチェロは18位に終わった。
どうしてRA107のスピードがなかったのか。次のレースまでに3週間。その間にこの問題に取り組む。バランスはよかったから、ハンドリングに関しても大きな問題はなかった。だから、どうしてパフォーマンスが今ひとつだったのか、もう一度洗い直してみなければならない。ただ残念なことに、今は夏のテスト禁止期間中。サーキットでのテストで解決することはできない。でも、ファクトリーではものすごい量のシミュレーション作業が進んでいる。
ハンガリーGPは不本意だったが、その2週間前に行われたヨーロッパGPではそれとは正反対の走りができた。スタート直後、雨のなかで僕のRA107は最速だった。最初の2周で、19位から5位まで順位を上げた。他のマシンはなんであんなに遅いのかと思えたくらいだ。この2周は、僕のキャリアの中でもベストのラップタイムとなった。
この前、英国GPの直後にこのコラムを書き終わってから、僕は、トレーナーのフィル・ヤングと、親友のスポーツカーレーサー、クリス・バンカムと一緒に、テストのためスパ・フランコルシャンまでクルマで移動した。イギリスからだと、飛行機よりクルマのほうが早い。気心の知れた仲間同士だから、楽しい道中となった。スパでのテストは、ベルギーGPに向けて大きな意味がある。去年はスパではレースがなかったから、最新の情報を手に入れなければならない。
テストのあと、すぐにまたクリスとフィルと一緒にイギリスに。その週末には仕事が盛りだくさんだったから。7月14日は、フェアフォードの英国空軍でエア・タトゥーという航空ショーに、ブリヂストンのゲストとして出席した。もちろん飛行機には乗れなかったけれど、僕はマシンならどんなものでも大好きだから楽しかった。翌日は、ブラックリーのファクトリーで、一般公開のチャリティーイベントがあった。新しい試みで、今回は5000人以上のファンが来てくれた。プラクティス・ピットストップからQ&Aまでいろいろな企画が催された。Q&Aには、僕と、サードドライバーのクリスチャン・クリエン、そして若手ドライバーのマイク・コンウェイが参加した。イベントには、スーパー・アグリ・F1・チームのアンソニー・デビッドソンやジェームス・ロシターも来ていた。会場はすごく盛り上がっていた。それに、何よりチャリティーに7万5000ポンドもの寄付金が集まった。このお金は、オクスフォードのヘレン&ダグラス・ハウス・ホスピタルと、ブラックリーのステッピング・ストーンズ・プレスクールに寄付される。
それから、飛行機でモナコに戻って、翌週末のヨーロッパGPに向けてトレーニングをした。天気は最高。1日に2回、屋外でトレーニングセッションができたから、ニュルブルクリンクには新鮮な気持ちで、体調的にもベストの状態で入ることができた。
サーキットに着いたのは、木曜の午後遅くだ。その前に、サーキットから12km離れたアデナウにある小学校で、子どもたちにホンダ・レーシング・F1・チームの「myearthdream」キャンペーンについて話をした。子どもたちに見せるため、RA107も持ち込んだ。すごくうまくいったと思う。僕ら皆が直面している環境の問題について、子どもたちはいくらか理解してくれたようだった。
さてレースのほうだが、金曜も土曜も、ウエットにはならなかったから、レース中の雨の予報に対し、各チームは手探りでセッティングするしかなかった。おかげで力の格差が縮まったわけだ。グリッドについてスタートの合図を待っている間に雨が降り始めた。スタートの瞬間、ひどくホイールスピンしたせいで、ターン1までに順位を2つ落とし、19位。でもそこから2周は、人生最高の走りができた。僕は誰よりも速く、目の前のマシンを次々と抜いていった。2周目の最後には、5位まで順位を上げていた。アロンソやマッサと競り合うなんて、今シーズン初めてだった。すばらしい気分だった。
でも、それも3周目の初めに突然終わってしまった。ターン1で、水の流れに突っ込んでしまった。そうなったらもうお手上げ。ポイントも狙えたのに、グラベルでレースを終えるのは本当につらかった。
ニュルブルクリンクからモナコに戻ってきて、ここで1週間半を過ごすことができた。翌週のヘレスでのテストに参加しなかったからだ。ルーベンスと僕はテスト作業を分担していて、その時のテストはルーベンスの担当だった。
マシンに乗らない間は、トレーニング三昧。その合間にガールフレンドのフローレンスは僕に料理を教えこもうとした。今のところ僕が作れる食べ物といえば、チーズとブロッコリーのスープだけなのに!
その後はハンガリーGP。そして、3週間の中断期間でまたモナコに戻ってきた。この間は、何も予定を立てないでおく。次のトルコGPに向けて、英国のファクトリーのスタッフがいつ何どき僕を必要とするか分からない。そのときすぐにファクトリーに行けるように、予定は空けているわけだ。
   

    

フランスGPで、僕はホンダ・レーシング・F1・チームの今季初ポイントを挙げた。その後だっただけに、英国GPでは10位よりもっと上にいけると感じていた。RA107は、ハイスピードコースのシルバーストーンに合っていると思ったし。でも結局、GPの初めから終わりまで、マシンのハンドリングが思い通りに決まらなかった。
一番大きな問題は、リアエンドが安定性を欠くこと。バンプと風の状態が合わさってこれが引き起こされるのだけれど、そうなるとマシンはものすごく操りづらくなる。なぜそんな風になるのか早く突き止めて、このトラブルを止めなければいけない。
前回のコラムはカナダGPまでだったが、そのあとの数週間は忙しかった。インディに入ったのは、水曜日の夜。アメリカは、重要な市場だからPR活動もたくさんあった。
サーキットでは、自分で出来る限りのことはした。13位で予選を通過し、12位でフィニッシュした。僕の立場から見て、このレースで一番大きな出来事だったのが、ラルフ・シューマッハとデビッド・クルサードと、チームメートのルーベンス・バリチェロが絡んだ第1コーナーでのアクシデントだ。ルーベンスのマシンが僕のマシンに接触して宙に飛ばされた。僕はレースを続けることはできたけれど、着地のときの衝撃で背中を痛めてしまった。
インディからイギリスに飛んでヘレステストに備えた。このテストは、チームにとって大きな意味を持っていた。新しい空力パーツとサスペンションパーツを試すことになっていたからだ。数ヶ月前から製作にかかっていたもので、これが成功するかどうかによって、これからのシーズンが違ってくる。
ヘレスでは、3日間のテストのうち2日間で走る予定だったが、痛めた背中がまだ辛かったから、最終日だけ参加した。新パーツの第一印象は、特に長距離が良かった。マシンの安定性も良くなっていたし、技術ディレクターのジャッキー・エッケラートに聞いたら、新しいパッケージなら長距離で1周0.4秒速くなると言っていた。まさにタイムリーな導入で、チームの皆も自信がついたと思う。
フランスGPの前にも様々なPRの仕事が待っていた。まずはテスト地から英国に直行して、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに参加。このイベントにはF1デビューして以来毎年参加している。とても楽しいイベントだ。今年は、雨が降って皆びしょぬれになってしまったけれど、それでも楽しかった。土曜日には丘を登る自転車競技があって、僕もこのために数ヶ月トレーニングを積んできた。残念なことに天候があまりにひどかったので、安全性を考えて、主催者が競技の方式を変更した。タイムトライアルの予定だったのが、丘を登る1回のレースになったのだ。優勝は、去年のスーパーバイク世界選手権のチャンピオン、トロイ・ベイリス。僕ら残りの選手もかなり競り合ったんだけれど。そして日曜日には、丘の上までRA107を走らせることになっていたんだけれど、これも天気のせいで取りやめになった。翌週にマニクールで使うのと同じシャシーだったから、危険を冒すのはやめようということになったのだ。その代わり、Hondaのスタンドでたくさんの人にサインをした。
翌日は、チームパートナーのためのイベントでシルバーストーンへ。ホンダ・レーシング・F1・チームのサードドライバー兼テストドライバーのクリスチャン・クリエンらも一緒だった。マレーを除く僕らは、ホンダエンジン搭載のリジェCNのプロトタイプなどいろいろな車にお客さんを乗せてサーキットを走った。
そこからやっとモナコに戻り、フランスGPへの準備を始めた。2日ほどトレーニングをして、木曜日の朝、マニクールへ飛んだ。RA107のパフォーマンスはヘレスでのテストで期待した通りで、予選より長距離の方が良かった。グリッドは、トップ10にわずか0.2秒差で12番手。レースも快適で8位に入った。特に最後のスティントではオプションタイヤで、ルノーと同じスピードで走ることができたからうれしかった。
レース後、モナコへ戻り、2日ほどリラックスしてシルバーストーンに向かい、英国GPに臨んだ。このレースへの準備は、ヘレスでのテスト前に違和感があった背中がまた痛み出したせいで、うまく進められなかった。金曜午後のプラクティスセッションには参加せず、土曜日の朝にコックピットに座った。でも、シルバーストーンでマシンの挙動が良くなかったのは、この背中のせいではない。だから次のヨーロッパGPまでにやっておかなければならない仕事が出来たというわけだ。ニュルブルクリンクで、マシンのポテンシャルを発揮できれば、きっとまたポイントを挙げられる。
    

僕らが転戦している間、ホンダ・レーシング・F1・チームのエンジニアとデザイナーたちは昼も夜もなくRA107を進化させようと働いてきた。その作業は確実に前進している。モナコGPでは、マシンに少しパフォーマンスのアップグレードを施しただけで、空力効果が高まり、ブレーキング時の安定感もグッと増した。おかげでマシンはドライビングに一貫性が出て、ロングランでのスピードが速くなった。
次に大きくアップグレードするのは、フランスGPになる。インディアナポリスのあとにテストする新しいパーツが、マシンを大きくステップアップさせてくれるはずだ。
いまRA107に生じている問題を克服しなければ、来年のマシンのデザインを考え始めるどころではない。それが実現しつつあることを願っている。
ファクトリー以外でも、忙しいひと月だった。スペインGPで12位でフィニッシュしてから、モナコの自宅に戻り、トレーニングばかりして過ごした。F1 用の通常のトレーニング以外に、自転車でのトレーニングをこなした。6月の最後にあるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでのタイムトライアルに備えてのトレーニングだ。短い坂道を一気に駆け上るのは、ものすごくタフなのだけれど、そのつらさがまた快感だ。
その後は、ポールリカールでの1日のテスト。低いダウンフォース用のスペックでRA107を試した。長い距離でのいいセットアップが割り出せ、開発が大きく進んだ。これは朗報だ。それからまたモナコまで車で戻り、トレーナーのマイルス・ジョンソンが着くのを待った。週末は彼とトレーニングだ。
次にモナコGP。このレースですばらしいのは、何といっても、飛行機に乗らないで現地に行けるところだ。でも、モナコに住んでいても、GPの間は自宅では過ごさない。僕のアパートはモナコを出るトンネルの向こうにあるのだけれど、F1パドックまで車で行こうとするとものすごい数の人と渋滞で、ひどく時間がかかってしまう。だから、コロンブス・ホテルに泊まった。親友のデビッド・クルサードがオーナーのホテルだ。
予選はいい出来だった。チームメートのルーベンス・バリチェロも僕も、今年初めてQ3まで進めた。得点圏内も狙えると思ったが、そうはいかなかった。スーパーソフトタイヤの寿命の見積もりが甘かった。それでも、僕らにとっては今季最高のGPだった。
モナコのあと、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードのタイムトライアルに向けてまた少しトレーニングをしてから英国に飛んだ。PRイベントのためではあったけれど、少し早めに英国に入って、グッドウッド・ハウスの目の前の丘を自転車で登るトレーニングをした。元英国のプロ自転車選手サラ・シミントンが一緒に来てくれて、どういうペース配分で丘を上ったらいいかを教えてくれた。
翌日は、シルバーストーンで、2つのテレビ番組の撮影。
それから2日間は英国にいて、GPの週の月曜日にカナダへ飛んだ。モントリオールはすばらしい街だ。いいレストランもあるし、素敵な店もある。いい感じの土地だ。
レースに向けて、黙々とトレーニングに打ち込んだ。毎日トレーニングをし、買い物やいいレストランでの食事でリラックス。そして木曜日、ルーベンスと一緒にクレシェント・ストリート・フェスティバルに出席して、これがGPの週末の幕開けとなった。Hondaの「ASIMO」にも会った。「彼」にとっては初めてのGPだそうだ。
サーキットでは、予選でグリップのなさに苦しみ、15番グリッドとなった。そして結局、ギアセレクションのトラブルでグリッドからスタートできないままレースを終えることになってしまった。1速に入れようとしたんだけれど、反応なし。それでも、ニュートラルから1速に入れてトラブルを解消しようとし続けたのだけれど、どうにもならなかった。ピットレーンからスタートしようとしたときも同じで、もうリタイアするしかなかった。どうしようもなく残念だった。
チームとしては、カナダGPのことをくよくよ考えず、次の週末、米国GPに向かって準備を進めるしかない。その後は、フランスGPだ。そこでは、RA107に新しいパーツが導入されるのだから。
    

現実はきちんと受け止めるしかない。今季開幕から2戦は、ホンダ・レーシング・F1・チームにとって期待外れのレースとなった。シーズン前に期待していた結果とは程遠い。
RA107に関して一番の問題は、グリップ不足だ。特にブレーキングの時がひどい。状況を改善するためいろいろセットアップをいじってみたけれど、結局、ライバルたちより早目にブレーキを踏まなければならず、タイムを大きくロスする。去年の最終レースと同じレベル、つまりグリッドの前列に復帰するためには、ファクトリーから最新パーツが送られてくるのを待つしかない。
チームでは24時間、解決策を検討している。マシンの問題点は分かっているけれど、新しいパーツが出来るまでには時間がかかるだろうから、今のところはまだ手元にあるもので戦わなければならない。
ポジティブな面では、RA807Eが素晴らしいエンジンだということ。ギアボックスの信頼性はとても高い。それから、実戦ではレースチームが効率の良い仕事をしてくれた。マレーシアは気温も湿度も高く、誰にとってもタフなレースだったが、冷静に効率よく戦うことができた。もう少しダウンフォースが得られれば、もっとやれるはずだ。
今年の開幕2戦は、2005年を思い起こさせる。あの年もスタートは厳しかったけれど、シーズンが進むに連れて徐々に挽回し、ポールポジションをゲットして表彰台に上ることができた。2007年も同じようにやれる自信がある。
サーキット以外では、前回このコラムを書いてから後、忙しいひと月だった。テスト続きの冬が終わり、オーストラリアGPへ向かう途中、東京に寄った。 Hondaの記者会見があったからだ。でもほんのわずかしかいられなかったのは残念だった。月曜の朝に日本に着いて、その夕方には日本を飛び立たなければならなかったから。でも、良いイベントだったし楽しかった。
レースの週の火曜日にメルボルンに到着。早速トレーニングだ。サーキットでの活動がスタートするまでは、海岸に沿って自転車を走らせたりして楽しんだ。レースへの準備の合間にはPRイベントもこなした。街一番のレストラン「ストーク・ハウス」でメディア・ディナーがあったり、アルバート・パークの小学校を訪問して子どもたちがエネルギー効率の良い電球を取り付けるのを手伝ったり。チームの環境問題への取り組みの一環だ。
僕の2006年はオーストラリアGPのポールポジションで幕開けした。それを考えると、今年14番手からのスタートというのは悔しかった。でもそれが今のレベルだ。そんな中でも出来るだけ頑張ったが15位が精一杯だった。
メルボルンからゴールドコーストに向かった。セパンは高温多湿だから少しでもそういう状況に慣れておこうというわけだ。バイロン湾に5日間滞在した。家族と一緒にビーチ近くの田舎に家を借りて過ごした。トレーニングがないときは、スキューバダイビングを習った。あれは素晴らしい。水の中には全く別世界が広がっている。魅力的だ。海ガメやドチザメやたくさんの魚を見ることができた。
3月24日の日曜日、クアラルンプールへ飛んで、翌週のセパンでの3日間のテストに備えた。水、木、金とサーキットでテストをし、その後タイのプーケット島で何日か休暇を過ごした。ピピ島でのスキューバダイビングは最高だった。
クアラルンプールに戻ったのが、マレーシアGPの週の水曜日。そのままホンダ・マレーシアのPRイベントに参加した。良いイベントだった。
それが終わるとGPに向けて集中することができた。とにかく気温が高くタフなGPだった。僕のコックピットの中はレース中、とても暑く、もう汗だく。出来るだけ水分を取ろうとはしていたのだが、ドリンクボトルの水もあっという間に熱くなってまるでお茶。参ったよ。でもそういう状況でも戦うのが僕らの仕事。とにかくレースが終わって新鮮な空気を吸った瞬間が嬉しかった。
今は、レースとレースの間、つかの間の休息だ。バーレーンでも僕のベストを尽くすよ。それは約束する。
    

チームにとって2月はとても忙しい月だった。サーキットでは、3月18日メルボルンでのシーズン開幕に向けて最終調整に入った。またサーキットの外では、新しいカラーリングが発表された。あの地球のデザインは、インパクトがあって素晴らしいと思う。ユニークなデザインというだけでなく、これからのF1の方向性を提案するものだ。今回、久々にF1マシンがスポンサーのロゴを付けずに走ることになる。それとともに、環境問題に対する意識を世界中で高めるため、 Hondaのスタッフは一丸となって真剣に努力していく。あのカラフルな外観はその気持ちの現われだ。
ここ数ヶ月で地球温暖化についてたくさん勉強した。それで、僕もライフスタイルを少しずつ変えていくことにした。例えば、空きビンはきちんとリサイクルに出す。またモナコの自宅で必要のない電気は切っておく。それから、ハイブリッドのホンダシビックを手に入れた。いい車だ。ガソリンと電気の両方が動力源となっている。こんなふうに、僕も微力ではあるが環境のためにできるだけのことをしたいと思っている。同じように、テレビでF1を見ている6億の人たちが、少しずつでも生活を見直してくれるようになるとうれしい。
さて、サーキットでの話に戻ろう。RA107開発は、猛烈な勢いで進んでいった。バレンシアでスタートして、ヘレス、バルセロナ、そしてバーレーン。バレンシアでは天気が悪く開発が進まなかったが、翌週からは太陽が顔を出し、セットアップ、エアロダイナミクス、タイヤと順調にプログラムをこなすことができた。
RA107は去年のRA106から格段に進歩している。出だしから1周のペースは好調。ロングランではまだフェラーリやマクラーレンほどのペースは出ていないが、マシンのあちこちを調整して着実に良くなっている。新しいパーツが続々と導入されているから、メルボルンで僕が乗るRA107は1月の末に発表したときのマシンとは劇的に違っているだろう。もちろんスピードもアップしているはずだ。
最終テストを2セット行うため、僕らはヨーロッパを出てバーレーン・インターナショナルサーキットに入った。バーレーンは大好きな国だ。人々はフレンドリーだし、天気も素晴らしい。サーキットも気に入っている。何しろ僕はこのサーキットを初めて訪れたF1ドライバーだ。あれは2003年、まだ建設中だった。とにかくここは、高速シケインなどチャレンジングなコーナーがいくつもあって、ドライバーの腕が試されるサーキットだ。
バーレーンでのテストは、僕たちにとってこの冬最初の「高気温」走行だった。このテストで、ブリヂストンは新スペックのタイヤを導入した。またオーストラリアで使う空力パッケージでの初走行でもあった。空力構成を新しくしたとたんマシンがぐっと安定し、長距離での信頼性が増したのは好材料だ。
まだタイムシートでトップにはなっていないが、トップとの差は着実に縮めている。またRA107はかなり信頼性の高いマシンになった。ファクトリーでは皆全力で作業している。これからずっと今の調子で開発が進んでいけば、今年後半のレースでは優勝できるはずだ。
2月はかなりの時間をサーキットで過ごしたが、モナコの自宅にも何とか2回ほど週末に帰ることができた。フランス南部はどんどん暖かくなってきていて、屋外でのトレーニングもできるほどになった。モナコの丘で自転車とランニングのトレーニングをみっちりと積み、コンディションは万全だ。
2月はイベントもいくつかあった。特に19日の月曜日は忙しかった。朝7時からホンダレーシングF1のファクトリーで、東京の記者会見に衛星中継で出席したからだ。記者会見が終わると、チームの体験センターに行き2人の少年と会った。僕が支援するメイク・ア・ウィッシュ基金から来たクストファー・セイビル君15歳とライズ・ジョイス君7歳。2人とも難病と戦っている。彼らにファクトリー内を案内できてとても楽しかった。
その1週間後、新しいカラーリングが発表された。メディアの興味は相当高かったようだ。素晴らしい発表だったのだが、僕はあと2日テストが残っていたため中東に戻らなければならず、長くはいられなかった。


そして今、2007年シーズンは準備段階を終えた。ついにレースが始まる。僕はレーシングドライバーだ。レースをこよなく愛している。アルバートパークに飛び出す瞬間の赤ランプが待ちきれない。
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