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グランプリウイナー!なんていい言葉なんだろう。最高の気分だ。
ハンガリーGPで、ホンダ・レーシング・F1チームと僕は完璧なレースができた。運がよくて勝ったんじゃない。勝つべくして勝ったんだ。ウエットになったりドライになったり、状況がめまぐるしく変わった。他のチームはそれで苦労していたけれど、ウチは違った。目の前のチャンスを全て余すところなく活かしきったからね。
レース前、マシンには絶対の自信を持っていた。RA106はこの週末だけでもずいぶん進化していたし、そもそも前週のホッケンハイムでもかなりスピードがあったんだ。ハンガリーではさらに速くなっていた。ラップタイムも長い距離も申し分なし。
でも出だしは順調とは言えなかった。土曜朝のフリー走行でエンジンブロウし、予選前にエンジンを変えることになった。それで、予選では4位だったけれど、10グリッド降格して14番手スタート。ハンガロリンクはオーバーテイクが難しいから、厳しいレースになるだろうって思っていた。そう、あの日曜の朝、雨が降っているのを見るまではね。
コース内側は普通、路面が汚れていて、スタートでは不利なんだけれど、この日はそれがなかった。雨が汚れを洗い流してくれていたんだ。おかげでトラクションが良くて、最高のスタートが切れた。最初のコーナーで何台か抜き、その後6周は1周1台のペースでオーバーテイクしていった。7周目にはついにミハエル・シューマッハを抜いて4位に浮上だ。
この時点で表彰台は行けると思った。ラップタイムは前を行くどのマシンにも勝っていたから。僕らはミシュランのエクストリームウエットではなく、スタンダードウエットタイヤを使う作戦を採った。去年のスパでもこれで3位に入ったんだ。選択は正しかった。レース中盤、マシンの挙動は素晴らしかった。ファステストラップを連発。そしてついに、フェルナンド・アロンソがリタイアした時点でトップに立ったんだ。後ろのペドロ・デ・ラ・ロサにはかなり差をつけていた。
トップに立つと、ペースを緩めマシンをいたわることにした。最後の10周ではエンジンの回転数を減らして走った。後ろから追い上げてくるマシンもなかったから、終盤はレースを楽しむ余裕もあった。このまま永遠にレースが続けばいいって思ったくらいだ。
フィニッシュラインを越えた時は、嬉しくていろいろな感情が一気にあふれ出てきた。トップでフィニッシュするこの瞬間まで、114レースかかったんだからね。でも待ったかいがあったよ。少なくとももうこれからは「初優勝はいつになるの?」って聞かれなくてすむ。
チェッカーを受けて、何よりもまず無線でチームのみんなにありがとうって言った。これまで一生懸命やってくれて本当に感謝している。それから叫んだね。とにかく嬉しくて叫びまくったよ。大声を張り上げてばかりいたから、レース後のインタビューではちょっとガラガラ声になってしまった…。
この日の初優勝は、タイミングも最高だった。ちょうど、Hondaの福井社長がピットから観戦していたんだ。福井社長はHondaのF1プログラムを強力にサポートしてくれている。だからHondaの第三期初優勝を目の前で見てもらえて本当に良かった。
表彰台でのセレモニーも忘れられない。一番高い段に上がると大声援に包まれてね。国歌が流れてきた時は、誇らしさでいっぱいになった。僕はイギリス人であることを誇りに思っている。ヘルメットにユニオンジャックの色をデザインしているのもそのためだ。
表彰台から見下ろすと、大勢の人のなかに父、ジョンの姿が見えた。僕は口の動きで「サンキュー」って伝えた。今、この世界にいられるのは全て、父のおかげだからね。初めてゴーカートを運転させてくれたのも父だし、いつでも変わることなく心から応援してくれている。
ハンガリーはイギリス人にとってゲンのいいグランプリなんだ。まずナイジェル(マンセル)が1992年にタイトルを決めたのがこのGP。その翌年にはデーモン(ヒル)がF1初優勝をやはりハンガリーで飾っている。今回の僕の優勝でまたその奇縁が続くことになったわけだ。付け加えると、フェルナンド(アロンソ)も2003年にここで初優勝しているよね。いい仲間に入れたな!彼らにあやかって僕もF1でいい結果を残していきたい。
レースの後は全てが慌しく過ぎてしまった。サーキットを出発するまでにあまり時間がなかったから、短い時間でたくさんのインタビューを受けなければならなかった。日曜の夕方にはロンドンのヒースロー空港発上海行きの飛行機に乗る予定になっていたからね。そのせいでチームと一緒にちゃんと優勝祝いをすることができなかったのが残念だ。
ヒースロー空港からの飛行機に間に合うように、ハンガロリンクからブダペスト国際空港までヘリコプターをチャーターした。そこから専用機に乗ってヒースローに着くと、英国航空のボーイング747に乗り込んで香港へ。さらに乗り換えてやっと上海に着いたのは、現地時間でレース翌日の月曜の正午だ。
飛行機でシャンパンを何杯か飲んだけれど、本当の祝勝会はこの旅から帰るまでお預けだ。イギリスの実家に帰ってから、友達何人かと地中海の島へ行くんだ。そこで3週間のサマーブレイク最後の数日を過ごす。あのレースを繰り返し見て、あとはパーティだね!
でもその前の上海もすごく楽しみだ。現地の人たちがいろいろ用意してくれていてね。ドラゴンボートを漕いだり、モーターボートを運転したり、上海で最高級のスパに行ったり。いいねえ!
上海から東京に飛んで、栃木にあるHondaの研究所にも行く。ここの人たち皆が頑張ってくれたことが今回の優勝に結びついたんだ。近くまで行くんだから、足を伸ばして自分で感謝の言葉を伝えたい。
その次の週末からは8月27日のトルコGPに備える。同じくレーサーで友達のクリス・バンカムとリッチー・ウィリアムスと一緒にトレーニングをして、万全の状態でトルコに入れるようにするつもりだ。
次のレースまでにRA106は大幅に進歩するはず。だからトルコでも上位で戦えるだろうって期待しているんだ。イスタンブールは走りやすいサーキットだ。去年もあそこでかなりのスピードを出せたから、今年もスタートが待ちきれない。
また勝ってみせるよ!
ハンガリーGPで、ホンダ・レーシング・F1チームと僕は完璧なレースができた。運がよくて勝ったんじゃない。勝つべくして勝ったんだ。ウエットになったりドライになったり、状況がめまぐるしく変わった。他のチームはそれで苦労していたけれど、ウチは違った。目の前のチャンスを全て余すところなく活かしきったからね。
レース前、マシンには絶対の自信を持っていた。RA106はこの週末だけでもずいぶん進化していたし、そもそも前週のホッケンハイムでもかなりスピードがあったんだ。ハンガリーではさらに速くなっていた。ラップタイムも長い距離も申し分なし。
でも出だしは順調とは言えなかった。土曜朝のフリー走行でエンジンブロウし、予選前にエンジンを変えることになった。それで、予選では4位だったけれど、10グリッド降格して14番手スタート。ハンガロリンクはオーバーテイクが難しいから、厳しいレースになるだろうって思っていた。そう、あの日曜の朝、雨が降っているのを見るまではね。
コース内側は普通、路面が汚れていて、スタートでは不利なんだけれど、この日はそれがなかった。雨が汚れを洗い流してくれていたんだ。おかげでトラクションが良くて、最高のスタートが切れた。最初のコーナーで何台か抜き、その後6周は1周1台のペースでオーバーテイクしていった。7周目にはついにミハエル・シューマッハを抜いて4位に浮上だ。
この時点で表彰台は行けると思った。ラップタイムは前を行くどのマシンにも勝っていたから。僕らはミシュランのエクストリームウエットではなく、スタンダードウエットタイヤを使う作戦を採った。去年のスパでもこれで3位に入ったんだ。選択は正しかった。レース中盤、マシンの挙動は素晴らしかった。ファステストラップを連発。そしてついに、フェルナンド・アロンソがリタイアした時点でトップに立ったんだ。後ろのペドロ・デ・ラ・ロサにはかなり差をつけていた。
トップに立つと、ペースを緩めマシンをいたわることにした。最後の10周ではエンジンの回転数を減らして走った。後ろから追い上げてくるマシンもなかったから、終盤はレースを楽しむ余裕もあった。このまま永遠にレースが続けばいいって思ったくらいだ。
フィニッシュラインを越えた時は、嬉しくていろいろな感情が一気にあふれ出てきた。トップでフィニッシュするこの瞬間まで、114レースかかったんだからね。でも待ったかいがあったよ。少なくとももうこれからは「初優勝はいつになるの?」って聞かれなくてすむ。
チェッカーを受けて、何よりもまず無線でチームのみんなにありがとうって言った。これまで一生懸命やってくれて本当に感謝している。それから叫んだね。とにかく嬉しくて叫びまくったよ。大声を張り上げてばかりいたから、レース後のインタビューではちょっとガラガラ声になってしまった…。
この日の初優勝は、タイミングも最高だった。ちょうど、Hondaの福井社長がピットから観戦していたんだ。福井社長はHondaのF1プログラムを強力にサポートしてくれている。だからHondaの第三期初優勝を目の前で見てもらえて本当に良かった。
表彰台でのセレモニーも忘れられない。一番高い段に上がると大声援に包まれてね。国歌が流れてきた時は、誇らしさでいっぱいになった。僕はイギリス人であることを誇りに思っている。ヘルメットにユニオンジャックの色をデザインしているのもそのためだ。
表彰台から見下ろすと、大勢の人のなかに父、ジョンの姿が見えた。僕は口の動きで「サンキュー」って伝えた。今、この世界にいられるのは全て、父のおかげだからね。初めてゴーカートを運転させてくれたのも父だし、いつでも変わることなく心から応援してくれている。
ハンガリーはイギリス人にとってゲンのいいグランプリなんだ。まずナイジェル(マンセル)が1992年にタイトルを決めたのがこのGP。その翌年にはデーモン(ヒル)がF1初優勝をやはりハンガリーで飾っている。今回の僕の優勝でまたその奇縁が続くことになったわけだ。付け加えると、フェルナンド(アロンソ)も2003年にここで初優勝しているよね。いい仲間に入れたな!彼らにあやかって僕もF1でいい結果を残していきたい。
レースの後は全てが慌しく過ぎてしまった。サーキットを出発するまでにあまり時間がなかったから、短い時間でたくさんのインタビューを受けなければならなかった。日曜の夕方にはロンドンのヒースロー空港発上海行きの飛行機に乗る予定になっていたからね。そのせいでチームと一緒にちゃんと優勝祝いをすることができなかったのが残念だ。
ヒースロー空港からの飛行機に間に合うように、ハンガロリンクからブダペスト国際空港までヘリコプターをチャーターした。そこから専用機に乗ってヒースローに着くと、英国航空のボーイング747に乗り込んで香港へ。さらに乗り換えてやっと上海に着いたのは、現地時間でレース翌日の月曜の正午だ。
飛行機でシャンパンを何杯か飲んだけれど、本当の祝勝会はこの旅から帰るまでお預けだ。イギリスの実家に帰ってから、友達何人かと地中海の島へ行くんだ。そこで3週間のサマーブレイク最後の数日を過ごす。あのレースを繰り返し見て、あとはパーティだね!
でもその前の上海もすごく楽しみだ。現地の人たちがいろいろ用意してくれていてね。ドラゴンボートを漕いだり、モーターボートを運転したり、上海で最高級のスパに行ったり。いいねえ!
上海から東京に飛んで、栃木にあるHondaの研究所にも行く。ここの人たち皆が頑張ってくれたことが今回の優勝に結びついたんだ。近くまで行くんだから、足を伸ばして自分で感謝の言葉を伝えたい。
その次の週末からは8月27日のトルコGPに備える。同じくレーサーで友達のクリス・バンカムとリッチー・ウィリアムスと一緒にトレーニングをして、万全の状態でトルコに入れるようにするつもりだ。
次のレースまでにRA106は大幅に進歩するはず。だからトルコでも上位で戦えるだろうって期待しているんだ。イスタンブールは走りやすいサーキットだ。去年もあそこでかなりのスピードを出せたから、今年もスタートが待ちきれない。
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