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ついにシーズンが始まる。これを書いているいま、ホンダ・レーシングF1・チームの貨物は開幕のためバーレーンに向かっているところだ。僕も間もなくドバイに向かう。トレーニングをしながら現地の気候に慣れ、サーキットでチームと合流する予定だ。
チームのスタッフは皆、今シーズンに静かな闘志を燃やしている。他のチームと比べてどうかということは実際にバーレーンで戦ってみなければ何とも言えないけれど、これまでの状況を考えると、今年はいいところまで行けるんじゃないかな。
   
開幕に向けて僕は大忙しだ。2月はテストからテストへとあちこち飛び回っていた。その合間には英国にあるチームのファクトリーへ行きPRの仕事。きついスケジュールだったけれど楽しかったよ。だんだんとチームがまとまっていくのが感じられたからね。
2月はまずバレンシアでのテストからスタートした。この冬最初の大きな合同テストで、3日間に24人のドライバーがタイムアタックした。僕らは上位のタイムが出せたし、かなり長い距離もこなせた。RA106が完成してから1週間もたたないうちでのテストだったというのにここまでの成果が出せたんだ。チームも活気づいているよ。
2月3日にはバレンシアから英国に戻り、トレーナーのマイルス・ジョンソンとトレーニング。その後5日の日曜日にチームの2006年用グッズカタログの撮影でヘレスへと飛んだ。カメラマンは有名なファッションフォトグラファーのエリザベス・ホフ。僕はファッションが好きだから楽しかったよ。出来上がった写真はどれも壮観で、素晴らしいカタログになった。
バーレーンでは2月14~16日にテストも行っていて、すごく意味のテストができたんだ。僕はテストと言えども、中東の暑さに慣れておいてから臨みたかったので、少し早めに行ってたんだけど、ここではウチのチームを含めて3チームしか参加していなかった。なぜ他チームが参加しなかったのか不思議だったよ。バーレーンは気候も路面温度もものすごく高いから、タイヤやマシンの冷やし方をいろいろ研究できるからね。開幕戦にはこれがかなり役に立ってくれると思うよ。
バーレーンにいる間、いろいろなPR活動にも参加した。そのなかにはサーキット主催のサイン会もあったんだけど、たくさんの人が来てくれた。この国でF1が受け入れられ始めていることを実感したね。
テスト最終日の翌日、早朝6時に僕とルーベンスは一緒に英国に戻って、そのままブラックリーのチームファクトリーに直行した。ファクトリーにはスタッフが全員集まっていて、皆でバーレーンでのテストのことや新シーズンの抱負を話し合った。
   
午後、2つほどインタビューを受けてから夜にはロンドンに向かい、そして翌日僕がいた場所はバルセロナ。チームPRの仕事があったからね。この業界では休暇なんていうものは存在しないんだ。でもバルセロナでは、やることは多かったけど、楽しかったよ。
2月20日月曜日は皇太子基金の表彰式のためロンドンに戻った。チャールズ皇太子とカミラ夫人も出席していたよ。この基金は英国の恵まれない子供のためのもので、僕は親善大使なんだ。式では、俳優のピアース・ブロスナン、ジョセフ・ファインズ、ジェームズ・レマー、元サッカー選手のゲイリー・リネカーといった人たちが表彰されていた。
その日の夜は同じくロンドンで開かれた雑誌「エル」のスタイル・アワードに出席した。僕のその日のファッションは、ドルチェ&ガッパーナの黒のスーツと白いシャツ。すごく楽しかったよ。
次の日はバルセロナに舞い戻り、2日間のテストを行った。それを終えてようやくモナコの自宅に帰ることができたんだけど、それは何と1ヶ月以上ぶりのこと!久々に自分のベッドでゆっくり眠ったよ。もちろんモナコでもトレーニングは欠かさない。南フランスは少しずつ暖かくなっている。トレーニングにはうってつけの季節だね。
2月28日には、ジュネーブ・モーターショーのためにスイスに飛んだ。Hondaの福井威夫社長と一緒にシビックの新しい「タイプR」を発表したんだ。これは素晴らしい車だよ。実際、僕自身もここ2年はモナコでシビックの「タイプR」に乗っているんだけれど、大のお気に入り。新しいモデルも抜群の車みたいだから、早く運転したいよ。
福井社長はHondaのF1プログラムを強力にサポートしてくれている。モーターショーのおかげで福井社長に冬のテストの進み具合や新シーズンへの抱負を話すことができた。社長もバーレーンでの開幕戦から優勝を狙っていけるだろうって期待してくれた。もちろん、僕やほかのスタッフも同じ気持ちだよ。
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もうすぐ新しいシーズンが始まる。バーレーンでの開幕戦に向けてホンダ・レーシング・F1・チームはエンジン全開で頑張っている。1月の終わりに新車 RA106をシェイクダウンして以来、僕たちは毎週テストをこなしている。いまのところ開発は順調だ。スピードと信頼性、ともに申し分ない。僕もシーズンに向けて期待が膨らんできている。何勝するとかチャンピオンシップで何位につけるとかいう予測めいたことはしたくないんだけれど、これだけは言えるね。 RA106はこれまで僕が乗ってきたなかで最高のF1マシンだ!

1月は忙しくてあっという間に過ぎてしまった。でも、年が明けてすぐにコックピットに乗り込んだかと言うとそうでもない。1月初めはチームメートのルーベンス・バリチェロがホンダ・レーシング・F1・チームで初めてのテストに臨んだから、チームに溶け込んでもらうためにも、しばらく彼一人にテストを任せようと思ったんだ。
   
ルーベンスがヘレスでテストをしている間、僕はランソローテ島でトレーニングをしていた。あそこに行ったのはこの冬2度目。天気にも恵まれて、1日3回のトレーニングセッションを1週間こなした。これまでにないほど体力も筋力もついてきた感じだ。
だから1月17日のヘレスでのテストが、初めてルーベンスと一緒に行ったテストだった。実はお互いあまりよく知らなかったんだけど、もう息が合ってきたよ。それに、ルーベンスのフィードバックがあるというのは頼もしいことだしね。

そうそう、そのテストの最中の1月19日に、僕は26歳になった。2000年にF1デビューしてから、誕生日はいつもスペインのテスト中だから、サーキットでこの日を迎えるのが恒例のようになっている。テストチームのみんなはとても優しくて、この日の終わりにはバースデーケーキを用意して祝ってくれたよ。
この週のテストが終わってロンドンに戻って、今度は友人と誕生日パーティだ。ロンドン北部のキングスクロスにあるレースウエーというカート場を借り切って、35人の友達を呼んで夕方からカートレースをした。最高に楽しかったよ。その後はそのままそのカート場でディナー。みんなと久しぶりに会えて良かった。

翌週の月曜日にはブラックリーにあるHondaのファクトリーに行った。新車発表を前に、やることがいろいろあったんだ。新車と並んで写真撮影、プレス向け資料のためのインタビュー、その合間をぬって新車に関する技術的なミーティング・・・。ルーベンスと2人で一緒に忙しい一日を過ごしたよ。
その晩バルセロナへ。翌日にシェイクダウンのための最初の行事が入っていたからね。チームの他のメンバーとは違って、僕はヨーロッパでテストやレースがあるときは自家用のモーターホームに寝泊まりするんだ。自分の気に入りのものに囲まれていられるし、毎朝ホテルからサーキットに出かける手間が省けるだろう?今年はデビッド・クルサードとジャック・ヴィルヌーヴとルーキーのニコ・ロズベルグもそれぞれモーターホームで過ごすらしいから賑やかだよ。

火曜日の夜は、バルセロナの中心街にあるレストランでチームのパートナーのための新車披露を行った。レストランはラス・ランブラスから少し離れたところにある「エル・プリンシパル・デ・トゥラガルス」というすごく素敵な店だった。外にちょっとしたスペースがあってディナーの前にそこでカクテルを飲むことができる。その後なかに入って食事。料理もすごく洗練されていたね。

   
メディア向けの発表は翌日、1月25日の水曜日だったんだけれど、チームは、この日のシェイクダウンのために2台のマシンを見事に仕上げてくれていた。午前中、僕らは新車のテストをこなし、その間にチームの経営陣がジャーナリストに応対した。ランチタイムになって、ルーベンスと僕も参加し、新車の感触や今シーズンについての展望を話したよ。かなりチャンスがあるんじゃないかな。ワクワクしているよ、ってね。実際、この日テストをこなしていたマシンのなかでは、トップクラスに入ると思う。それにRA106は、乗れば乗るほど快適になっていくのがわかる。どのレースでも優勝を狙えるだけのマシンだと思うね。準備は順調。僕自身もこれまでにないほど体力が充実し神経が研ぎすまされている。

翌26日もバルセロナでの新車テストが続き、それが終わって夕方にニースに向かった。モナコの自宅で週末を過ごすなんて久しぶりだ。毎日のトレーニングの他は何も予定を入れていなかったから、手紙を整理したり隣の人に挨拶をしたりする時間があって良かった!

1月30日月曜日に英国へ飛んでブラックリーのファクトリーへ行った。エンジニアと少し技術的な打ち合わせがしたかったし、新車についてチームのみんなとも話したかったからね。ファクトリーのスタッフは全員一生懸命やってくれている。そんななかでせめて僕ができることと言えば、マシンについて感じたことを伝えることだからね。

僕らがどの辺のポジションにいるのか見極めるにはまだ早いけれど、この調子で順調にテストが進めば、開幕戦のバーレーンGPではかなり良いところまで行けるんじゃないかな。少なくとも僕には自信があるよ。
    

あけましておめでとうございます。今年がいい年になりますように!

Honda Racing F1 Teamにはすごく前向きな空気が満ちているよ。この冬のテストはうまく行っている。僕がチームにきてから3年だけど、その中でも一番いい感じなんじゃないかな。1月25日にお披露目されるニューマシンは見た目にも素晴らしい。早く走らせてみたいよ。

この数カ月、Honda Racingのスタッフは一丸となってエンジン全開で作業してきた。一生懸命働くこと。それがF1で成功するための唯一の道だ。チームはスタッフを3つに分けている。ひとつは冬のテストをこなすグループ、ひとつは2006年マシンのデザインをして車をつくり上げるグループ、もうひとつはブラックリーの風洞建設に携わるグループだ。チームはこのフルサイズの風洞を今年の半ばには稼働させたいと思っている。
僕は12月のテストにすべて参加してV8エンジンとギアボックスの開発に加速をつけようと努力した。たった1ヶ月間でV8は格段に進化したよ。何と言っても音が素晴らしいね。カート時代のリードバルブエンジンを思い出すよ。

   
クリスマス前にはいろいろな授賞式やチャリティイベントにも参加した。その中で栃木の本田技術研究所にも行ったんだ。ヘレスでのテストから日本に直行し、Hondaのエンジニアと話してV8のトルク、パワー、ドライバビリティなんかについて最新のフィードバックを伝えた。
エンジニアたちからは、その後数カ月のエンジン開発プランの説明を受けた。特にパワーについてはすごくアグレッシブな目標を設定しているんだ。 Hondaの人たちはそれが実現できると請け合ってくれたからうれしかったな。ますます新しいシーズンが待ち遠しくなった。

栃木から戻ってきてヘレスへ。2005年最後のテストセッションだ。それから英国に帰って家族とクリスマスを過ごした。ロンドンと、故郷サマーセットのフロームで過ごしたんだけれど、すごくリラックスした休暇だった。シーズン中はスケジュールがぎっしりで家族や友だちとゆっくりする機会があまりないから久しぶりに姉妹や甥っ子や姪っ子とのんびりできて本当にうれしかった。
年末から正月にかけては、友だち何人かとフレンチアルプスに行った。雪は最高!一日中滑りまくったよ。体力づくりにもなったね。

アルプスからモナコに戻ったけれど、家にいたのは1日だけ。1月4日からは、理学療法士のフィル・ヤングとトレーナーのマイルス・ジョンソンと一緒にランサローテでのトレーニングキャンプが待っていたからね。去年の11月にランサローテでやったキャンプと同じメニューだったんだけれど、今回もうまく行った。
1日3回のフィットネスセッションの中にはいろいろなエクササイズが盛り込まれていた。サイクリング、登山、ランニング、水泳、ウエイト、どれもハードなんだ。マイルスは元プロのラグビー選手で、ものすごくタフな体を持っている。彼がつねに傍でハードにハードにと僕を後押ししてくれる。その週の終わりには体力と筋力がかなりついたのを感じた。夏の何ヶ月かは忙しくて1週間もトレーニングに割くことができないから、その間もこの体のレベルを維持していくことがこれからの課題だ。

   
僕がトレーニングをしているころ、テストチームはヘレスで頑張っていた。1月11日には新しいチームメート、ルーベンス・バリチェロがそこでチーム加入後初めてテストに参加した。クリスマスまではフェラーリとの契約があってウチのテストに参加できなかった。だからやっとホンダのF1マシンに乗れたんだ。彼はF1での経験が豊富だ。それにフィードバック、特にマシンのセットアップに関してはものすごく優れているから、エンジニアも大助かりだろう。
ルーベンスとは6年間も同じレースに参戦しているのに、まだお互いによく知らない。妙な話だよね。デビッド・クルサードという共通の友人もいるから、公の場で顔を合わせたことがあったくらいなんだ。でも今年はルーベンスのことをもっとよく知ることができると思う。楽しみだよ。彼は、とても地に足のついた人のようだ。それは大切なことだよ。僕らはスムーズなドライビングスタイルだし、うまくやっていけると思う。

ランサローテからロンドンに飛んで1日過ごした。今年の後半に出版する自伝のための撮影があったんだ。それからまた飛行機でヘレスに向かい、2006年の初テストだ。
ここでは12月と同じようにプロトタイプのマシンを走らせた。2005年のクルマに2006年のエンジンとギアボックスを積んだものだ。何週間もマシンに乗っていなかったから、シートに座ってクルマを走らせるのは最高の気分だった。信頼性もばっちりで、かなりの数の周回をこなすことができた。

ヘレスにいる間、1月19日に26歳の誕生日を迎えた。スタッフは皆いい仲間で家族みたいなものだ。だから彼等と一緒に誕生日を祝えたのは楽しかった。テストの後はロンドンに戻って古い友人たちともパーティをしたよ。
それからホンダレーシングの工場に立ち寄って新しいマシンについていろいろ話した。その後モナコに帰ってマイルスと一緒に数日間のトレーニング。ランサローテで作った体を維持するためにまたハードなセッションを繰り返した。サイクリング、水泳、パワーウォーキング、ウエイトをやって、精神的にも肉体的にもタフになったのを感じている。新しいシーズン、何でもこいという気持ちだ。
その後テストのためバルセロナに来て、今このコラムを書いている。今回は前回とは違ったテストなんだ。新しいマシンがもうすぐお披露目される。早く走らせたくてうずうずしているよ。
       チームは今シーズンの最後まで頑張ってきた。でも最終戦の中国GPでは僕が8位、琢磨がリタイアと、その成果を挙げることができず、シーズンの締めくくりを残念な結果で終えることになってしまった。

最終戦まで、僕らは諦めずにB・A・R Honda007を改良し続けた。そのかいあって、鈴鹿では予選2位、中国では予選4位。でも4番手グリッドからスタートした中国GPで、結局1ポイントしか稼げなかった。
最初のピットストップの時、セーフティーカーが入ってきてしまった。ターン10で排水溝のカバーが緩んでいたんだ。ピットを出るときセーフティーカーを抜くことができるのかどうか分からなくて困ってしまった。結局抜いた時には順位を3つも落として8位にまで下がっていた。その後は最後まで中盤の渋滞に突っかかってしまった。僕にとっても記念すべきB・A・R Hondaの100度目のGPだったのに・・・。
でも中国GPが僕の2005年の総決算だとは思ってほしくない。たしかに今年は厳しいレースもあったし、特にシーズンの序盤は大変だった。でもいい結果も残せたと思っている。たとえばフランスGPから最終戦まで、全てのレースでポイントを稼いだのは参戦しているドライバーの中で僕だけだったわけだからね。
チームは厳しい状況になるたびに巻き返し、おかげで強くなることができた。2レース(バルセロナGP、モナコGP)の出場停止のときにも、ぼくたちは一丸となってマシンの開発を続けた。
実際、最終戦では開幕戦当時のマシンより1周で1秒以上速くなっていたんだ!これはすごい進歩だよ。ブラックリーのテクニカルチームや、エンジンを格段に素晴らしいものに改良してきてくれたHondaのスタッフ全員のおかげだね。

今年、僕にとって一番の出来事は、何と言ってもドイツとベルギーでの表彰台だ。それから、イモラで3位に入ったレースもそれに匹敵する。その数日後にFIAから結果を抹消されたけれど、とにかく僕はあのレースでも表彰台でシャンパンシャワーを浴びたんだ!
グリッドでフロントローに並んだことが4回あったけれど、これもうれしかった。カナダではポールポジション、シルバーストーンとホッケンハイムと鈴鹿では 2番手。一発勝負という予選方式が僕には合っているんだと思う。それに、2006年から新しく導入されるノックアウト方式の予選も大歓迎だ。僕のようにプレッシャーの中でこそ良いパフォーマンスが見せられるというドライバーには、うってつけだからね。
ホッケンハイムでミハエル・シューマッハーをオーバーテークしたことにも満足している。それも、Hondaのグランドスタンドの目の前だったから格別だ。ミハエルは今年、ワールドチャンピオンの座を譲ってしまったけれど、それでも手強いレーサーであることには違いない。

チームの今後のことについて言うと、大きなニュースが2つあった。1つは、2006年の終わりにF1から撤退するブリティッシュ・アメリカン・タバコから、Hondaがチームの株式を100%買い取る決定をしたこと。これでチームは長期安定するし、Hondaのスタッフとの結びつきも強くなるはずだ。2 つ目は、ブラックリーの新しい風洞が、2006年半ばまでには完成し稼動しはじめるということ。これで空力関係の開発プログラムが格段に進歩するはずだ。
じつは、中国GPの後日本に戻り、栃木にある本田技術研究所に行って来年の最新型V8エンジンの開発具合を見てきた。すばらしかったよ。エンジニアはすでに、来年早々に導入する予定のエンジンをアップグレードする段階に入っていた。
栃木から英国に飛んで、ブラックリーにあるB・A・R Hondaの工場へ行き、テクニカル・ディレクターのジェフ・ウィリスやスタッフと新しいマシンについて話した。10月の終わりというのは、新車の開発にとって大切な時期。だから僕も、今シーズンのマシンについてどこを改良したらよいか、できる限りのフィードバックをしたかったんだ。
その後モナコに戻って少し休暇をとり、家族や友達と会えたけど、11月の中旬には来年に向けた準備が始っているはずだ。スタートはランサローテでの2週間のトレーニングキャンプから。このキャンプの特徴は、他のスポーツのアスリートと一緒にトレーニングできることなんだけど、かなりきついキャンプになると思う。
冬の間、体力トレーニングをたくさん積むことは重要なんだ。シーズンが始まれば数日ごとに飛行機で飛び回らなければならない。そうした移動にじゃまされずにトレーニングできるのは一年のうちで冬の期間だけだからね。僕のやり方としては、毎年冬ごとに体力をレベルアップさせる。そしてレースが始まったらトレーニングの時間が減ってしまうから、その体力レベルを維持するのに集中する。
11月の終わりにはコースに出て、今年のシャシーに来年のエンジンとギヤボックスを取り付けた “プロトタイプ”のマシンでテストをスタートさせる。完全な新車ができ上がるのは1月初めの予定だけれど、その前にこのプロトタイプで新しいメカニカルシステムの信頼性を高めることができるというわけだ。
2006年から新しくV8エンジンの規定が導入されるため、これまで以上に冬の間のテストが重要となった。その間に、パフォーマンスを極限まで追求すると同時に、信頼性も高めなければならない。でも僕は、HondaのV8エンジンに自信を持っている。 今年を締めくくるにあたって、2005年、一生懸命サポートしてくれた日本のファンのみんなにお礼を言いたい。2006年はみんなが絶叫するようなすごいレースをしてみせるよ!
ベルギーGPとブラジルGPは、僕たちにとって正反対のレースだった。
まずスパのことから話そう。このサーキットは僕も大好きだ。高速の流れるようなレイアウトで、技術的にもすごくチャレンジング。その上、アルデンヌ地方は天気が変わりやすい。そういったいろいろな要素が絡み合っておもしろいレースが展開されるわけだ。
レースは、例によってスパウエザーにかき回された。当日の朝ものすごい嵐があって、サーキットは午後2時になってもまだ相当濡れていたため、インターミディエイトのタイヤでスタートするしかなかったんだ。午後は午後で湿度がとても高くてコースが完全には乾かなかった。ドライバーにとっては特に最初の数周がものすごくきつかったね。
僕の場合、序盤はマシンがひどくオーバーステアだったから余計に苦しかった。コーナーでは、僕がほとんど何もしなくても、勝手にクルマが曲がってくれるんだから!ラッキーなことに10周でセーフティカーが入り、ピットに戻ってフロントウィングを調整することができた。これでハンドリングは良くなった。そのピットストップで、タイヤをドライに変えたのは失敗だった。なぜなら、コース上はまだかなり濡れていたんだから。僕はすぐにピットに戻り、インターミディエイトに履き替えたよ。
この時点で僕は12番手に沈んでいた。でもすぐに何とか回復した。アグレッシブに走って何台も抜いた。なかでもジャック(・ビルヌーブ)を抜いた時はうれしかった。2つの高速コーナーが組み合わさったプーオンで外側から抜いたんだけれど、その前の4つのコーナーでも同じように抜こうとしていて、ここでやっと抜けたんだからね。
残り4周というとき、2位を走っていたファンパブロ(・モントーヤ)がクラッシュ。おかげで僕は3位になれたんだ。でも、表彰台に上がれたのは、全てチームが一生懸命にやった結果だ。チームとしての戦いぶりは素晴らしかったと思う。特にピットストップでの作業は完璧だったね。

スパの後、僕たちはバルセロナに移動して3日間の集中テストをした。このときのサーキットにはウチのチームしかおらず、朝の9時から夕方6時まで何にも妨げられずに走ることができた。鈴鹿用スペックの新型エンジンでもかなり走ったよ。それから、日本GPに持っていく2つのコンパウンドのタイヤを選んで、ブラジル用の空力パッケージもテストした。
ブラジル入りする前に、チームのPRの仕事がたくさん入っていた。まずレースの前週の日曜日にサンパウロへ行き、ブリティッシュ・アメリカン・タバコのイベントに参加した。そこではカートにも乗ったよ。何年も乗っていなかったからカートってこんなにグリップがあったんだって改めて感心したね。自分自身もカートで楽しんで、その後ゲストを乗せて走った。楽しんでくれていたみたいだったよ。
ブラジルGP前の水曜日、僕は記者会見で来年からもB・A・Rホンダで走ることを発表した。ウィリアムズとすでに2006年の契約を結んでいたから、フランク・ウィリアムズとは何ヶ月も話し合ってきたんだ。そしてやっと、B・A・Rホンダに留まれることができるようになった。この決定は、僕にとってものすごく大きな出来事だ。今後のことが明確になったので、今は最高の気分だ。来年ルーベンス(・バリチェロ)と一緒に走ること、そしてB・A・Rホンダでワールドチャンピオンを獲得するという夢を実現することを、とても楽しみにしている。

ブラジルGPは、悔しい結果だった。でもレースの翌週、テストチームはヘレスに移動して、問題になった部分を分析し、鈴鹿スペックのエンジンと、中国 GP用のタイヤをテストした。僕はモナコで集中的にトレーニングした方が良いと思い、行かなかったけど、テストの結果は上々だと聞いて、日本GPが待ち遠しくなったよ。
日本GPはシルバーストーンに次いでチームの2つ目のホームグランプリ。期待は大きい。B・A・Rホンダ007は高速サーキットでいいパフォーマンスを見せるマシンだ。鈴鹿はそうしたサーキットのひとつだから、走れることをすごく楽しみにしていたんだ。

「日本GPレース報告」

日本GPは残念な結果に終わってしまった。多くのファンの前で予選2位に入ることができて、自分でも期待していたのに、5位で終わるなんてがっかりだ。
今回僕は、Hondaの最新型V10エンジンを初めて使ったのだけれど、これがすごく良くって、マシンのラップタイムもものすごく速かった。空力もグレードアップしていて、マシンのスピードも信頼性も格段に良くなっていたんだよ。でもレース距離ではハンドリングがだんだん悪くなり、ドライブしづらくなってしまった。
レース前に、乾いた路面で走ることがほとんどできなかったのも痛かったね。今回僕らは新しいパーツをたくさん導入していたから、他のチームよりこのことによるダメージが大きかったと思う。金曜の午前中、わずか1時間くらいの走りでセットアップとタイヤを決めなければならなかったから、きつい作業だったよ。
レースはスタート直後の第1コーナーでジャンカルロ(・フィジケラ)に抑えられて3位に後退。それでも、最初はマシンのハンドリングも良く、いい結果を出せる自信があったんだ。
でもレース中盤、リアタイヤにささくれができ始めてしまった。2週間前のブラジルと同じ症状だ。そのせいで、後は運転がどんどん厄介になっていった。しかも、ピットストップでは2回とも、トラブルの処置をするはめに・・・。フラストレーションがたまる一方だったよ。

end
3週間の夏の休暇が終わり、F1も残り3分の1。僕は3週間も休暇は取れなかったけれど、それでも少しは休むことができた。まずサントロペで、元フィアンセのルイーズ・グリフィスと何日か過ごした。僕らはまだいい友達で、結婚式をするはずだった8月5日は一緒にいようということになったんだ。その後は、友達何人かでスペインのイビザ島に行った。街の近くのヴィラを借りて過ごしたんだ。最高だったよ。おかげで僕はバッテリーをしっかり充電できた感じかな。それから僕は、またPRイベントに参加して、初開催となるトルコ・イスタンブールに入った。

イスタンブールパーク・サーキットは、素晴らしいサーキットだった。僕たちのマシンのハンドリングも最高で、グランプリの間中、ほとんどセットアップを変える必要がなかったんだよ。僕よりコンスタントに速かったのは、マクラーレンのキミ(・ライコネン)ぐらいだったんじゃないかな。

でも結局、レースでは実力相応の結果が出せなかった。原因の一つは、僕も琢磨も予選でトラブルがあって、決勝のグリッドを下げてしまったこと。実は土曜の朝のフリー走行で、たくさんのマシンがターン7と8で底をこすっているのを見て、僕らは予選に向けてマシンの車高をほんの少し上げていた。だけどアタックの時にまだタイヤ圧が低かったため、結局ターン8の真ん中で底をこすってしまったんだ。マシン的にはフロントローでもおかしくない状態だったのに、13番手スタートになってしまってがっかりしたよ。絶対にレースで挽回してやるって思ったね。

レースのスタートは、路面の汚れている側からということもあって、今ひとつだった。でもアグレッシブに飛ばし、 12周目までに、ミハエル(・シューマッハ)、ルーベンス(・バリチェロ)、デビッド(・クルサード)、クリスチャン(・クリエン)を抜いた。その後も何台も抜いて、5位でフィニッシュ。悪くない結果だけど、グリッド順がもっと前だったら表彰台もあり得たわけで、悔しいよ。

次のイタリアGPは、金曜日から苦しい状況だった。マシンはコーナリングのグリップが充分でなく、ブレーキングの時も安定していなかった。だから土曜日に向けてセットアップを根本から変えることにした。ほとんどのセッティングを逆の方向でやり直したんだ。それが思いどおりの効果を生んで、土曜の朝にはマシンはかなり良くなった。琢磨にいたっては、フリー走行で3番手のラップタイムを刻んでいたよ。こうして予選はうまく行き、4番目に速いタイムを出すことができたんだ。マシンを1周する限りでは調子が良く、レースに向けて気持ちは弾んだ。

そして決勝レース。スタートはフェルナンド(・アロンソ)の後ろの3位をキープできたけれど、走っているとすぐに彼のマシンの方が速いことに気が付いた。僕は最初のピットストップまでに20秒もの差を付けられてしまった。そして悪いことに、その最初のピットストップで、給油の際の燃料リグにトラブルがあることが分かったんだ。琢磨は直後にまたピットに入らなければならなかったし、僕も2回目のピットストップを、予定より4周も早く行わなければならなかった。なんとか頑張って8位でフィニッシュしたけれど、予選の後に期待していた結果とはほど遠いものになってしまったよ。またもやマシンの能力が発揮できなかったんだ。

今は、ベルギーGPに向けて準備中。今度こそはいい結果を残したい。スパ・フランコルシャンは、高速で、ドライバーにとってチャレンジングなサーキット。僕も大好きなコースの一つだ。高速サーキットは、B・A・R Honda 007向きのはずだしね。

最後に、8月はおもしろいことがあったんだ。トルコとイタリアのGPの間の、モンツァでのテストが終わってからのこと。翌日に結婚式で新郎の付き添い人をすることになっていたから、イギリスに戻らなければならなかった。遅れちゃいけないから、かなり複雑な経路で帰ることにしたんだ。まずサーキットからヘリコプターで近くの空港に飛び、チャーター機でイギリスのブリストル国際空港に行くルートだ。

途中まではすべてがスムースに運んでいたんだ。ところが、チャーター機がいざ着陸してみると、そこがブリストルと違う空港だってことが分かった! 北部にあるフィルトン空港だったんだ。友達が待っているブリストルは南部なのにね。それで、フィルトンでは、降りる間もなくすぐにブリストルに向けて飛んだ。クレイジーな旅だったよ。でもまあ、最終的には何とかなったから、結果オーライだね。

翌日の結婚式は素晴らしかった。新郎は学生時代の友達で、結婚するのは仲間うちでは彼が初めてだった。当日までスピーチを考える時間がなかったからほとんどぶっつけ本番。彼が気に入ってくれたことを願うよ。
7月は、B・A・R Hondaにとって良い月だった。B・A・R Honda 007の開発はかなり進んだよ。空力をアップグレードしてグリップが良くなった。それに、イギリス、ドイツ、ハンガリーですべてポイントをゲットしたからね。

これから、チームは3週間のサマーブレークに入る。その間、テストはなし。休み明けには、このところの良い感じをそのまま持ち込みたいね。ここから6レースはB・A・R Honda 007が得意とするサーキットが目白押しだ。

§イギリスGPは僕には特別

地元のファンが心から応援してくれるイギリスGPは、僕にとっては特別だ。そして何より、シルバーストーンは素晴らしいサーキット。世界でもトップクラスのチャレンジングなコーナーがある。特に第一コーナーは難しく、100%ドライビングに集中しないと良いタイムは出せないんだ。僕たちのマシンは、マクラーレンやルノーほどのスピードはなかったけれど、フロントローからスタートして5位に入ることができた。これは満足できる結果だ。ミハエル(・シューマッハ)より35秒も速くフィニッシュできたしね。

イギリスGPの後は、テストのため、ヘレスサーキットに飛んだ。あちこちを少しずついじっただけだったんだけれど、ものすごくマシンが良くなった。特にグリップと安定性はかなり変わり、次のドイツGPにも自信が持てた。

その後またイギリスに戻り、僕はHondaのPRイベントに参加した。地元のHondaの四輪工場に勤めている人たち全員とその家族が招待されたイベントで、6,000人以上は来ていた! サインをしたり、インタビューを受けたり、それから飛行場でS2000やシビックRSにお客さんを乗せて走ったり・・・本当に忙しい一日だったな。

もちろんトレーニングは忘れていない。今回はモナコで心肺機能を高めるトレーニングを、コーチのマイルス・ジョンソンと4日間行ったんだ。元ラグビー選手のマイルスが用意してくれたメニューは、ものすごくハードだったよ。例えば、まず山の高いところから地中海までダッシュし、間髪を入れず海を泳いで、また走って登り、スタート地点まで戻ってくる・・・とかね。ヘトヘトになったけど、体力は付いたと思う。


§ミハエルを、完璧な動きでオーバーテイクできた

ホッケンハイムサーキットは、大好きなコースだ。F1にデビューした2000年には、超高速だった昔のレイアウトで4位入賞。新しいレイアウトになってからも、去年は13番グリッドから2位でフィニッシュしている。

今年も良い走りができたよ。マシンは一貫して良いペースを保ち、余裕の3位でフィニッシュした。ミハエルをオーバーテイクした場面も、良い気分だった。きれいで完璧な動きだったと思う。しかもそこのスタンドには、Hondaのゲストがたくさん座っていて、そのシーンを見てくれていたんだよ! 僕と同じように、みんながエキサイティングな気分になってくれていたらうれしいね。

レース後の記者会見とチームのミーティングを終えると、すぐに飛行機に乗って、イギリスのブリストルに直行した。トレーナーのマイルスがパブをオープンしたばかりだったんだ。パブとしてもいい店なんだけど、ここは食べ物もおいしい。良いレースをした後、祝杯を上げるにはもってこいの場所だね。

翌日モナコに帰り、2日ほどリラックスして過ごした。と言っても、ハンガリーGPとの間が1週間しかなかったから、レースに向けてトレーニングもした。南フランスの天気はもう最高。モナコはのんびりとした雰囲気に包まれていた。ここではPRの仕事もこなした。雑誌の取材が2つほど入っていたんだ。『メンズヘルス』の取材は、特集に関するストレートなインタビューだった。もう一誌の『グラマー』のテーマは“ジェンソン・バトンとデート”というもの。つまり、女性のジャーナリストと1日を過ごして、モナコを案内したりして彼女を楽しませるっていう筋書きだ。最初は何か変な感じだったけれど、“デート”の最後にはすごく楽しい気分になれて、おもしろかったよ。


§できるだけ多くポイントを

ハンガリーGPでも、力強いパフォーマンスを見せることができたと思う。後から考えるとタイヤチョイスが間違ってしまったなと思うけれど、マシンは終始安定していたし、レースが進んでいくうちにどんどん良くなった。5位という結果にも満足しているよ。琢磨も8位に入って、コンストラクターズチャンピオンシップで5ポイント追加できたしね。

今後レースは3週間ないわけだけれど、僕は結構忙しい。上海でのPRイベントが4日間に、イギリスでの友達の結婚式。そして、初開催となるトルコGPへの準備。トルコに行く途中にアテネに寄って、またPRイベントが2日間。最初の日は記者会見で、2日目は『プレイボーイ』誌のインタビューだ。実はアテネに行くのはいつも楽しみなんだよ。と言うのも、僕にとって、アテネは本当の意味で自分のドライビングキャリアが始まった土地だから。14歳の時、僕の父親が当時カートエンジンを提供していたユーゴスラビア人のビジネスマンとアテネで会い、それが縁で、僕の国際カートのスポンサーになると言ってもらったんだ。

それはともかく、今は想い出に浸っている暇はない。今年、残りの6レースに全神経を集中している。できるだけ多く、ワールドチャンピオンシップのポイントを稼ぐから!

    §アメリカGPでのことにこれ以上言うことはない

6月のコラムを書いてから、F1ではいろいろなことが起こった。まずは、カナダGPのことから始めよう。

あのレースは複雑な気持ちだった。僕は、F1キャリアで2度目のポールポジションをゲットでき、すごく興奮した。それまで何週間もやってきたことが実を結んだ証拠だからね。それにレースでは、僕が積んでいた燃料の量を知って驚いた人も多かったんじゃないだろうか。何たって最初のピットストップは、同じフロントロースタートのミハエル(・シューマッハ)より3周も後に入ることができたんだから。でも結局、不本意な結果になってしまった。あの47周目でのクラッシュ・・・・。あれは完全に僕のせいだった。自分でも腹が立ったよ。僕はそんなにたくさんミスをするドライバーじゃないと言うのに!

こういう場合、どんなドライバーも、まずチームに謝って、それから前向きに頑張るしかない。ラッキーだったのは、モントリオールからインディアナポリスまでの間、いろいろ忙しかったおかげで気持ちを切り替えられたことだ。

そうそう、CBSのF1ドキュメンタリー映画の撮影でロサンゼルスに行ったんだけど、そこでヒュー・ヘフナー(雑誌“プレイボーイ”の創刊者)に会ったよ! ナイスガイみたいだったな。まあ、F1のことをどれくらい知っているかは分からないけどね。

その後に、アメリカGPのインディアナポリスに行った。ご承知のように、僕たちはレースをしなかった7チームのうちの1チームだ。もちろん、レースができなかったことにはとてもがっかりしたよ。でも、金曜日にラルフ(・シューマッハ)の事故が起こったターン13にシケインを設置しないままでは、安全性を考えて引き下がるしかなかったんだ。

もう今は、そのことについてこれ以上言うことはないよ。ただ、インディアナポリスのサーキットとアメリカの観客に謝罪の気持ちを表すため、シーズン終了前にもう一度、インディアナポリスでノンタイトル戦をしようという話については、素晴らしいと思う。でもそのレースの運営は、慎重にやらないとね。それに何か戦う目的のようなものがなければ、ファンのみんなも見にきてくれないんじゃないかな。

フランスGPでは、マシンに新しい空力パッケージを導入した。ものすごく良くなったよ。フロントもリアもグリップが良くなって、エンジニアもラップタイムで約コンマ2秒速くなったと言っていた。それと、さらに良かったのが、レースディスタンスでもマシンが今まで以上にタイヤに優しくなったこと。だから運転していても終始安定した走りができた。

マニクールではチームメイトの琢磨も好調だった。予選は5位になったし、序盤の走りも良かったよね。僕は4位に入ることができたし、あのリザルトで、チームの士気がぐんと上がったよ。これが僕たちの底力。今年初めてのポイントを獲れたわけだけど、それだけではなくて、やってきただけの成果を色々な場面で出せたからね。このグランプリが僕たちチームのターニングポイントになってくれればいいと、心底願っているよ。

インディアナポリスの後はヘレスに行って、マニクール用の空力パッケージを初テストしたんだ。ものすごく進化しているという手応えをすぐに感じた。でもレースで走ってみるまでは、期待めいたことを言わないようにしていた。テストドライバーのアンソニーも、この新しい空力パッケージを試してすごい進化だって言っていたよ。


§フランスGPの成果をターニングポイントに

テストが終わったらイギリスに直行して、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに出席したんだ。デビッド・クルサードも同じルートで行くことになっていたから、自家用機に同乗することにした。その方が時間の節約になると思ってね。ところが、離陸してすぐに、キッチンの方から何だか焦げ臭い匂いがしてきたんだ。パイロットが、危険かもしれないからすぐマドリッドの空港に着陸したいと言ってきた! 結局あとで、それはコーヒーメーカーの匂いで、別に大したことはなかったって分かったんだけどね。でもその時は、僕もデビッドも慌ててイギリス行きの便を予約しなければならなかったんだよ。

今まで何度もグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードには出場しているけれど、これは本当に素晴らしいイベントだと思う。ファンはマシンやドライバーのすぐ近くまで来られるし、リラックスした雰囲気でみんなが楽しんでいる。今年のイベントは特別で、HondaのF1初優勝の40周年記念ということで、Hondaがホストメーカーになったんだ。Hondaの歴代のF1マシンをモニュメントにして、グッドウッドハウスの前に展示された。

僕は2台のマシンで、グッドウッドハウスの前のヒルクライムコースを走ったんだ。最初はブラバム・ホンダ・フォーミュラ2。1966年にジャック・ブラバムが乗って、11戦を勝ったマシンだ。運転しやすくて驚いたよ。技術的にも素晴らしい。あのマシンが無敵だった理由が分かったね。あの1リッターエンジンの回転速度を上げると、今のF1マシンと同じような音が出るんだ。何しろ11,500rpmまで回るんだから!

それからB・A・R Honda 007に乗った。安全面の理由でドーナツターンはやってはいけないって言われていたので、ファンに喜んでもらえるのはバーンアウトくらいだったけど、僕自身はすごく楽しかったから、見ている人たちも楽しんでくれたならいいな。

このところのレーススケジュールはすごくタイトで、すぐに次のレースが来るっていう感じだ。7月だけで4つもグランプリがあるんだからね。次はシルバーストーンだ。僕にとってはいろいろな意味で特別なレース。第一に、エキサイティングな高速セクションがあって、走るのにすごくチャレンジングなサーキットであること。第二に、母国グランプリだから。

イギリスのファンの前で、思いっきり良い走りを見せたい。フランスでの走りを考えると、マシンには絶対的な力がある。どうか僕の幸運を祈ってほしい。
     §これまでのレース人生でいちばん惨めな瞬間

2戦の出場停止処分はつらかった。だからヨーロッパGPが待ち遠しくて仕方がなかったのに、結果はがっかりなものだった。原因はいろいろとある。ペナルティーのせいで、僕たちは予選で最初に走らなければならなかったこと、そしてエンジンの問題など。特にエンジンは、5週間も使わないままのものを、今回も使わなければならなかったんだからね。

それだけじゃない。レース中には何度も渋滞にはまってしまったし、ハンドリングも良くなかった。コーナーの入り口ではアンダーステアで、コーナーの途中ではオーバーステア。次のカナダGPに向けて、課題が山積みだ。

でも、いくらレースの結果が良くなかったと言っても、グランプリから締め出されているときのイライラとは比べものにならないね。スペインGPの時は、僕は心の底から出場できると思って、いつも通り、精神的な準備も万端だったんだから・・・。あれは、これまでのレース人生でいちばん惨めな瞬間だった。しかもレースには出られないって言うのに、PRイベントはびっしりと予定が詰まっていたからね。

スペインGPの直後、イギリスのB・A・R Hondaのファクトリーにチームスタッフ全員が集まって、今後について話し合った。500人以上のスタッフがひとつの部屋に集まったんだ。要点は2つ。今回のことについて、くよくよする必要はないということ、そして、今僕たちがやらなければならないのは、復帰レースとなるヨーロッパGPに集中することだけだ、ということ。そしてその目標に向かって、僕たちはテストのスケジュールを組んだんだ。

ファクトリーでの会議の後、僕はモナコの自宅に戻って、ニースの北にある丘で2日間のトレーニングを行った。トレーナーのマイルスと一緒にね。とてもいい感じでトレーニングできたよ。ちょっと変に聞こえるかもしれないけれど、それまでの数日間のストレスが汗になって流れ出して、気持ちもすっきりした感じになれたんだ。

§絶対にポイントを獲らなければ!

モナコGP前のモナコの街はいつも、何だか熱に浮かされたような感じで、そこにいるだけで奇妙な気分にさせられる。作業の人たちがコースの周りに最後のバリアを建てていく。港にはたくさんのヨットが停泊している。チームも、他のGPより早く現地入りしてピットガレージを準備する・・・。でも今回特に不可思議な感じを抱かせたのは、この街にB・A・R Hondaのトラックがいないという事実だった。

僕はグランプリから気持ちをそらすため、できるだけ多くの予定を組んだんだ。最初のフリー走行が始まった木曜日には、カンヌでネルソン・マンデラの、子供たちのためのチャリティオークションに出席した。金曜日には、撮影とPRイベントをこなし、土曜日はマイルスと一緒にトレーニング。日曜のレースの時には、イギリスのテレビ局、ITVの放送席で、マーティン・ブランドルと一緒にレースの解説をした。

みんなも知っているように、マーティンは元F1ドライバー。今回、その彼とも仲良くなれた。それと、いつもと反対の立場に身を置くっていうのはいいチャンスだった。違った面からレースを見るのはなかなか楽しいものだね。テレビ局も、毎回違ったゲストコメンテーターを呼べばいいのにって思った。そうすれば中継に新鮮味が加わるだろう。

モナコGPの後の2日間は、モナコでPRの仕事が入っていた。ひとつは、編集者たちと一緒にサイクリングするという企画。これは面白かったよ! 編集者の中には、健康のためにももっと鍛えた方が良いっていう感じの人が何人かいたけどね。もうひとつは、MTVの撮影。実は今、MTVでは僕の日記風のフィルムを作っているんだ。いろいろな場所で撮影をしたよ。ジムとかサーキットとかね。これも楽しかった。

北米大陸の2連戦、そして7月には4つのグランプリがある。チームにとっても僕にとっても、とても重要な時期に突入するわけだ。絶対にポイントを獲らなければ!
     §Q:今年は表彰台が遠くに感じたりはしないですか?

A:サンマリノGPでなんとか開幕からのパフォーマンスを挽回しようと、ファクトリーで働く全スタッフが一生懸命頑張ってくれたおかげで、バーレーンとイモラの間の3週間で、B・A・R Honda 007はまるでまったく新しいクルマみたいに生まれ変わっていた。エンジン、Honda RA005Eの最新バージョンは、どんな回転数でもきちんとパワーが出せるようになったし、エアロダイナミクスにもいろいろ改良が加わって、それまでのように突然オーバーステアになってしまうこともなくなった。実際、テストではグランプリディスタンスを20回もこなして信頼性に関する問題はほとんど発生しなかった。すごいことだよね。ポールリカールのテストでは、なんと750kmも走ったんだ。1日でだよ!こんなに走ったのは初めてだったし、テストセッションの成果としても、僕がこのチームでこれまでやってきた中で最高の部類に入るんじゃないかなと思う。

僕たちはこんなに一生懸命だ。だから、このみんなの努力を、今後のレースで絶対証明したいと思っている。B・A・R Hondaは今年、絶対に勝てるはずなんだからね。

§全員、サンマリノGPに自信を持って臨んだんだよ

バーレーンGPがあった日曜の夜に、前回のこのコラムを書き終えてすぐ、マクラーレンの株主、マンスール・オジェの奥さん、キャシーのバースデーパーティに出席するためマナマに向かった。パーティには、F1関係者も大勢かけつけていて、ミハエル(・シューマッハ)も来ていたよ。そういうライバルたちとレース以外の場所でしゃべることができたのは楽しかったな。素晴らしい夜だった。

翌日にはモナコへ行き、そこで2日ほどトレーニングをしてから、スペインのバルセロナで2日間のテストをこなした。1日目は信頼性とタイヤのテストで、2日目はエンジンとエアロダイナミクスのテストだった。これまでのマシンに比べて長距離走行でも安定していたし、セットアップを変えた分だけしっかりと応えてくれた。そうした反応から、エンジンもエアロダイナミクスも、ものすごく進化したってことがすぐに分かったよ。新しいタイヤでアタックしたとき、非公式だったけれどラップレコードを記録したんだよ。チームの誰もがレースへ向けて自信を持って、とてもハッピーな気持ちでテストを終えたんだ。

テストのあと、僕はスペインから、姉のターニャの結婚式のためにイギリスへ戻った。前回のコラムに書いたとおり、花嫁を教会まで送り迎えする大役を仰せつかっていたからね。ターニャが少しでもリラックスできるように、FMラジオのクラッシック番組をずっとかけて、なるべくゆっくり走ったよ。

実は、結婚式までの1週間は本当に大変だったんだ。ターニャは、式の3日前になってウェディングドレスが気に入らないと言い始め、それでなんと、もう一着買いに出かけたり! 周りのみんなまでやきもきしているみたいだった。でも何とか望みどおりのドレスを手に入れて・・・まあ結局、最後にはうまくいったんだけどね。

ターニャの結婚式の翌日には、別の結婚式に出席するために車を走らせた。もうひとつの結婚式の主役は、僕の療法士をやってくれているフィル・ヤング。花嫁さんはオーストラリアの人だった。レース仲間がたくさん来ていて、くつろいだ雰囲気のとてもすばらしい結婚式だったよ。

次の日には、イスタンブールでラッキーストライクのPRの仕事が入っていた。今年のはじめにこの仕事のオファーがあったとき、ぜひやりたいと思ったんだ。8月21日にトルコGPが行われる新しいサーキット「イスタンブール・オートドロモ」を見る絶好のチャンスだったからね。

僕が行ったとき、オートドロモはまだ完全にはでき上がっていなかった。でも乗用車で走ってみることはできたから、レイアウトの感じをつかめたよ。かなり良くできたコースだと思った。優れたサーキットに必要な要素、つまり、高速コーナーとオーバーテークのポイントがすべて盛り込まれていた。ジュニアフォーミュラ時代に何度もレースで走ったイギリスのオールトン・パークに似ていると思った。起伏の多いコースだから、F1マシンで走ったらスリルいっぱいだろう。

その後はポールリカールで1日のテストを行った。このテストで、さっきも言ったように1日で750kmを走り抜いて、信頼性は問題なし。僕も疲れを全く感じなかった。つまり、今の僕の体調も最高だっていうことだね。新しくスポーティング・ディレクターになったジル・ド・フェランとは、ここで初めて一緒に仕事をした。彼がチームに加わってくれて本当にうれしい。人生に対してものすごく前向きで、レース経験も豊か。それにアメリカでHondaと組んでいい成績を残してきているしね。彼の存在はチームにとって大きな財産になると思うよ。

僕たちB・A・R Hondaのチーム全員が、イモラでの勢いをこのまま持ち込んで、これまでの努力を続けていくことができれば、これからも必ずポイントを重ねていけると思っている。そしてもちろん、初勝利だってね。さあ、かかってこい!
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