忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

     §これまでのレース人生でいちばん惨めな瞬間

2戦の出場停止処分はつらかった。だからヨーロッパGPが待ち遠しくて仕方がなかったのに、結果はがっかりなものだった。原因はいろいろとある。ペナルティーのせいで、僕たちは予選で最初に走らなければならなかったこと、そしてエンジンの問題など。特にエンジンは、5週間も使わないままのものを、今回も使わなければならなかったんだからね。

それだけじゃない。レース中には何度も渋滞にはまってしまったし、ハンドリングも良くなかった。コーナーの入り口ではアンダーステアで、コーナーの途中ではオーバーステア。次のカナダGPに向けて、課題が山積みだ。

でも、いくらレースの結果が良くなかったと言っても、グランプリから締め出されているときのイライラとは比べものにならないね。スペインGPの時は、僕は心の底から出場できると思って、いつも通り、精神的な準備も万端だったんだから・・・。あれは、これまでのレース人生でいちばん惨めな瞬間だった。しかもレースには出られないって言うのに、PRイベントはびっしりと予定が詰まっていたからね。

スペインGPの直後、イギリスのB・A・R Hondaのファクトリーにチームスタッフ全員が集まって、今後について話し合った。500人以上のスタッフがひとつの部屋に集まったんだ。要点は2つ。今回のことについて、くよくよする必要はないということ、そして、今僕たちがやらなければならないのは、復帰レースとなるヨーロッパGPに集中することだけだ、ということ。そしてその目標に向かって、僕たちはテストのスケジュールを組んだんだ。

ファクトリーでの会議の後、僕はモナコの自宅に戻って、ニースの北にある丘で2日間のトレーニングを行った。トレーナーのマイルスと一緒にね。とてもいい感じでトレーニングできたよ。ちょっと変に聞こえるかもしれないけれど、それまでの数日間のストレスが汗になって流れ出して、気持ちもすっきりした感じになれたんだ。

§絶対にポイントを獲らなければ!

モナコGP前のモナコの街はいつも、何だか熱に浮かされたような感じで、そこにいるだけで奇妙な気分にさせられる。作業の人たちがコースの周りに最後のバリアを建てていく。港にはたくさんのヨットが停泊している。チームも、他のGPより早く現地入りしてピットガレージを準備する・・・。でも今回特に不可思議な感じを抱かせたのは、この街にB・A・R Hondaのトラックがいないという事実だった。

僕はグランプリから気持ちをそらすため、できるだけ多くの予定を組んだんだ。最初のフリー走行が始まった木曜日には、カンヌでネルソン・マンデラの、子供たちのためのチャリティオークションに出席した。金曜日には、撮影とPRイベントをこなし、土曜日はマイルスと一緒にトレーニング。日曜のレースの時には、イギリスのテレビ局、ITVの放送席で、マーティン・ブランドルと一緒にレースの解説をした。

みんなも知っているように、マーティンは元F1ドライバー。今回、その彼とも仲良くなれた。それと、いつもと反対の立場に身を置くっていうのはいいチャンスだった。違った面からレースを見るのはなかなか楽しいものだね。テレビ局も、毎回違ったゲストコメンテーターを呼べばいいのにって思った。そうすれば中継に新鮮味が加わるだろう。

モナコGPの後の2日間は、モナコでPRの仕事が入っていた。ひとつは、編集者たちと一緒にサイクリングするという企画。これは面白かったよ! 編集者の中には、健康のためにももっと鍛えた方が良いっていう感じの人が何人かいたけどね。もうひとつは、MTVの撮影。実は今、MTVでは僕の日記風のフィルムを作っているんだ。いろいろな場所で撮影をしたよ。ジムとかサーキットとかね。これも楽しかった。

北米大陸の2連戦、そして7月には4つのグランプリがある。チームにとっても僕にとっても、とても重要な時期に突入するわけだ。絶対にポイントを獲らなければ!
PR
     §Q:今年は表彰台が遠くに感じたりはしないですか?

A:サンマリノGPでなんとか開幕からのパフォーマンスを挽回しようと、ファクトリーで働く全スタッフが一生懸命頑張ってくれたおかげで、バーレーンとイモラの間の3週間で、B・A・R Honda 007はまるでまったく新しいクルマみたいに生まれ変わっていた。エンジン、Honda RA005Eの最新バージョンは、どんな回転数でもきちんとパワーが出せるようになったし、エアロダイナミクスにもいろいろ改良が加わって、それまでのように突然オーバーステアになってしまうこともなくなった。実際、テストではグランプリディスタンスを20回もこなして信頼性に関する問題はほとんど発生しなかった。すごいことだよね。ポールリカールのテストでは、なんと750kmも走ったんだ。1日でだよ!こんなに走ったのは初めてだったし、テストセッションの成果としても、僕がこのチームでこれまでやってきた中で最高の部類に入るんじゃないかなと思う。

僕たちはこんなに一生懸命だ。だから、このみんなの努力を、今後のレースで絶対証明したいと思っている。B・A・R Hondaは今年、絶対に勝てるはずなんだからね。

§全員、サンマリノGPに自信を持って臨んだんだよ

バーレーンGPがあった日曜の夜に、前回のこのコラムを書き終えてすぐ、マクラーレンの株主、マンスール・オジェの奥さん、キャシーのバースデーパーティに出席するためマナマに向かった。パーティには、F1関係者も大勢かけつけていて、ミハエル(・シューマッハ)も来ていたよ。そういうライバルたちとレース以外の場所でしゃべることができたのは楽しかったな。素晴らしい夜だった。

翌日にはモナコへ行き、そこで2日ほどトレーニングをしてから、スペインのバルセロナで2日間のテストをこなした。1日目は信頼性とタイヤのテストで、2日目はエンジンとエアロダイナミクスのテストだった。これまでのマシンに比べて長距離走行でも安定していたし、セットアップを変えた分だけしっかりと応えてくれた。そうした反応から、エンジンもエアロダイナミクスも、ものすごく進化したってことがすぐに分かったよ。新しいタイヤでアタックしたとき、非公式だったけれどラップレコードを記録したんだよ。チームの誰もがレースへ向けて自信を持って、とてもハッピーな気持ちでテストを終えたんだ。

テストのあと、僕はスペインから、姉のターニャの結婚式のためにイギリスへ戻った。前回のコラムに書いたとおり、花嫁を教会まで送り迎えする大役を仰せつかっていたからね。ターニャが少しでもリラックスできるように、FMラジオのクラッシック番組をずっとかけて、なるべくゆっくり走ったよ。

実は、結婚式までの1週間は本当に大変だったんだ。ターニャは、式の3日前になってウェディングドレスが気に入らないと言い始め、それでなんと、もう一着買いに出かけたり! 周りのみんなまでやきもきしているみたいだった。でも何とか望みどおりのドレスを手に入れて・・・まあ結局、最後にはうまくいったんだけどね。

ターニャの結婚式の翌日には、別の結婚式に出席するために車を走らせた。もうひとつの結婚式の主役は、僕の療法士をやってくれているフィル・ヤング。花嫁さんはオーストラリアの人だった。レース仲間がたくさん来ていて、くつろいだ雰囲気のとてもすばらしい結婚式だったよ。

次の日には、イスタンブールでラッキーストライクのPRの仕事が入っていた。今年のはじめにこの仕事のオファーがあったとき、ぜひやりたいと思ったんだ。8月21日にトルコGPが行われる新しいサーキット「イスタンブール・オートドロモ」を見る絶好のチャンスだったからね。

僕が行ったとき、オートドロモはまだ完全にはでき上がっていなかった。でも乗用車で走ってみることはできたから、レイアウトの感じをつかめたよ。かなり良くできたコースだと思った。優れたサーキットに必要な要素、つまり、高速コーナーとオーバーテークのポイントがすべて盛り込まれていた。ジュニアフォーミュラ時代に何度もレースで走ったイギリスのオールトン・パークに似ていると思った。起伏の多いコースだから、F1マシンで走ったらスリルいっぱいだろう。

その後はポールリカールで1日のテストを行った。このテストで、さっきも言ったように1日で750kmを走り抜いて、信頼性は問題なし。僕も疲れを全く感じなかった。つまり、今の僕の体調も最高だっていうことだね。新しくスポーティング・ディレクターになったジル・ド・フェランとは、ここで初めて一緒に仕事をした。彼がチームに加わってくれて本当にうれしい。人生に対してものすごく前向きで、レース経験も豊か。それにアメリカでHondaと組んでいい成績を残してきているしね。彼の存在はチームにとって大きな財産になると思うよ。

僕たちB・A・R Hondaのチーム全員が、イモラでの勢いをこのまま持ち込んで、これまでの努力を続けていくことができれば、これからも必ずポイントを重ねていけると思っている。そしてもちろん、初勝利だってね。さあ、かかってこい!
     §1 第2戦マレーシアGP

メルボルンでのレース後、月曜日にはブルネイに行って、フィアンセのルイーズと短い休暇を過ごした。なぜブルネイかと言うと、次に控えていたマレーシア GPの気候に似ていてそのコンディションに慣れることができるからということと、ブルネイはすばらしい国で休暇を過ごすにはとても良いと聞いていたからだ。実際、本当に楽しかった。もちろん、1日に3度は短いトレーニングをこなしていたよ。ランニング、水泳、カヤックを交互に取り入れたトレーニング・・・・。おかげでマレーシアには調子良く乗り込めた。気温40℃、湿度70%という環境にもばっちり慣れていた。
セパンサーキットは好きなコース。低速と高速コーナーがうまく組み合わさっていて、さらにコース幅が広いからオーバーテイクがしやすいんだ。マレーシア入り後、最初のうちはうまく行っていて、金曜日の練習走行ではノートラブルで走れた周回もあった。でもその後、悪いことが起こり出したんだ。
まず土曜の朝、サーキットに行くとすぐ、琢磨がウィルス性の風邪で残りの日程を走ることができなくなったと言われたんだ。琢磨は前の晩から病気になって点滴を受けていた。みんな心配したよ。それで急遽、サードドライバーのアンソニー(・デビッドソン)が走ることになった。実はその時、アンソニーはすでに帰宅する用意をしていたんだけどね。
そして次は僕。オイル漏れで、2回目のフリー走行45分間をまるまるロスした。そのせいで、午後の予選1回目の前に軽い燃料で走っておくことができなくなったんだ。しかもこのオイル漏れは、レースにまで尾を引いた。
レースは9番手スタートだったけれど、良いレースをする自信はあったんだ。実際、スタートはすごい良かった。キミ・ライコネン(マクラーレン)を抜いたりして、1周目から2つ順位を上げられたんだから。ところが2周目、突然ひどいオーバーステアに襲われた。リアタイヤの上にオイルが流れ出していたんだ。結局土曜日と同じオイル漏れでリタイア。同じトラブルでアンソニーもレースを断念した。
レース直後、僕はひどく混乱していた。だって、1周目には自分が最速だと感じていたんだから。それで、記者からコメントを求められた時に、チームのパフォーマンスを批判してしまったんだ。でも、僕がそんな言葉を口にしたのは、チームのパフォーマンスを一生懸命に考えているから。B・A・R Hondaの皆はそれを分かってくれているよ。
決勝日の夕方に、僕はイギリスへ飛んだ。BRDC(ブリティッシュ・レーシング・ドライバーズ・クラブ)の会長、ジャッキー・スチュワートとの撮影があったからだ。ジャッキーと僕はシルバーストーンサーキットをゴルフのバギーで走るシーンを撮影した。イギリスGPのプロモーションに使うらしい。ジャッキーのことはとても尊敬しているし、仲良くしてもらっているから、楽しい仕事だったよ。

§2 チームはポジティブな気持ちを失っていない

それから僕はチームのファクトリーへ直行し、マレーシアGPでのテクニカルトラブルについて話し合いをした。Hondaのエンジニアとは、オイル漏れの解決策が出たことを確認し、シャシーの担当者には、マシンに加える改良について話した。
マレーシアの結果は残念だったけど、ファクトリーはポジティブな雰囲気のままだった。だから、僕自身もすごく気持ちが乗ってきた。そこにいた皆と同じように、僕も、ここまでの残念な結果を覆すことができると自信を持っているんだ。
しかし第3戦バーレーンGPも、リタイアする結果になってしまった。苦い薬を飲むようだったよ。涼しいヨーロッパでのテストでは、マシンは時計仕掛けのようにきっちりとラップを刻んでいた。けれどマレーシアもバーレーンも気温は40℃以上。うまくいかなかったのはこのためだろう。モーターレーシングの世界で昔から言われている言葉に、「勝つためには、まず完走すること」というのがある。今の僕たちも、ここから始めなければいけない。
でも、チームはポジティブな気持ちを失っていない。僕たちは全員、「今年は勝利を重ねていく」というオフシーズンからの目標を達成できると信じている。 Hondaは良いエンジンを提供してくれているし、マシンのスピードも速い。完走さえできるようになれば、トップ争いができるはずだ。

僕は今、バルセロナでこのコラムを書いている。4月24日のイモラでのレースに備えて、合同テストの最中なんだ。エンジンはかなり良くなった。ブレーキに厳しいことで有名なバーレーンGPでは、まさにそのブレーキが僕たちの課題となってしまったが、今回のテストではそれにも改良を加えている。あと、数レース後に導入する新しい空力のパーツも改良した。
週末には、姉の結婚式でイギリスへ戻る。花嫁を教会に送り迎えする役目を仰せつかっているからね。姉にとっては人生の大切な日。晴れてくれるといいなあ。
 Hondaホームページの読者の皆さん、僕の新しいコラムへようこそ!
日本のファンは僕にとってとても大切な存在なんだ。今シーズン、僕の身の回りで起こったいろいろなことを、レースだけでなくプライベートも含めて毎月報告していくのでお楽しみに。
Lucky Strike B・A・R Hondaは、2005年のシーズンを迎えるにあたってすごく忙しい冬を過ごした。でもやっただけの価値はあったよ。ニューマシン、B・A・R Honda 007は、運転していてすばらしいマシンだし、去年より格段に進歩したのがよく分かる。
ここまで来ることができたのは、見事なエンジンを作ってくれたHondaの存在が大きいね。レギュレーションが変わって、2つのGPに耐えられるエンジンを作らなければならなくなったけれど、そんな中でもRA005Eは去年より軽くてパワーもある。シャシーとの組み合わせも完璧だ。
今年のマシンなら、去年より上の成績を狙えるはずだよ。準備は万端。念願の初勝利に向けて、チームも僕も自信がある。このコラムで、ポディウムの最上段からの景色を、毎回伝えることができたらいいね。    
   
ジェンソン・バトン    
       
       
       
    §1 第1戦オーストラリアGP

オーストラリアGPの結果には、チームのスタッフ全員ががっかりしている。かなり期待を持ってメルボルン入りしたのに、結局1ポイントも取れずじまい。2 台ともポイントを取ることができないなんて去年のベルギーGP以来だ。でもあまりネガティブにならないようにしているんだ。去年だって、シーズンが進むにつれてどんどん良くなった。今年も間違いなく同じだと思っているからね。
1回目の予選は、天候に大きく左右されてしまった。僕がコースに出た時、路面はまだ濡れていたから、フィジケラのポールタイムより約8秒4も遅くなってしまったんだ。レースではほぼずっと、渋滞にひっかかっていた。特にジャック・ビルヌーブの後ろにね。ジャックが乗るザウバーのギアボックスをにらんで、イライラしながら16周も走るハメになった。前に何もなければ、どの周も2秒は速かったと思う。オーバーテイクできそうな距離に近付くと、そのたびにジャックのマシンの気流が僕のフロントのダウンフォースをなくしてしまうんだ。それで後ろに下がる、その繰り返しだった。
でも、チームにとっても僕にとっても素晴らしいシーズンになるということへの自信は揺らいでいないよ。開幕前から言ってきた通り、とにかく勝ちたいし、タイトル争いがしたい。チームとしては、コンストラクターズチャンピオンシップで3位以内に入るのが目標だ。冬のテストの時期から、マシンの良さは分かっている。あとはレースでその力を発揮できるかどうか。オーストラリアGPはもう過ぎたこと。新しいマシン、新しいレギュレーションで臨む新しいシーズンの第1戦が終わった、それだけのことだよ。

§2 オフシーズンのこと

メルボルンではいい成績を出せなかったけれど、シーズンが開幕したというのはやはり気分が良いね。Hondaのみんなと同じように、僕もレースが大好き。またあの抜きつ抜かれつの世界に戻って来ることができて、ホント、うれしい。
開幕戦へは、東京を経由して行ったんだよ。Hondaが新シーズンに向けて恒例の記者会見を開いたから。今年の会見は、いつもとはちょっと違っていた。去年はF1チームだけだったけれど、今年は、Hondaが参戦する様々なレースの関係者が集まっていたんだ。IRLからトニー・カナーン、MotoGPからはマックス・ビアッジとニッキー・ヘイデン。他にも知り合いがたくさん来ていた。いろいろなレースとの違いを比べるのはおもしろかったし、チームスピリットの素晴らしさを感じたね。
そのイベントで分かったんだけど、各レースの中で、F1が一番多くのオフシーズンテストをこなしたようだ。F1チームが冬の3ヶ月間のテストでマシンを走らせた距離は、僕と佐藤琢磨、アンソニー・デビッドソン、エンリケ・ベルノルディの4人合わせて25,000km近い。大変な作業だったけれど、2レース1 エンジンという新たなレギュレーションの中で、信頼性を確かめるためにはこのくらいのテストが必要だということは、充分に分かっていたからね。
F1ドライバーとしては、テスト同様にプロモーション活動もこなさなければならない。だからあまり休暇はとれなかった。この仕事が好きだから、文句を言うつもりはさらさらないよ。ただ、F1ドライバーが何もせずにオフシーズンを過ごすなんていうウワサだけは、ここで否定しておきたい!

***

去年の10月の最終戦ブラジルGPが終わってすぐ、アメリカのユタ州にあるソルトレークへ撮影に出かけたんだ。楽しい旅行だった。ソルトフラット(塩の大平原)をこの目で見ることができたのも良かったな。ソルトフラットはものすごくて、何だか恐ろしいほどだったよ。
フィアンセのルイーズと一緒に、ユタからラスベガス、それからロサンゼルスに行った。その後日本に飛んで、Hondaの栃木研究所に行ったんだ。研究所には一万人以上の従業員がいて、すごく印象的な所だよ。従業員のみんなと会ったり、Hondaが2005年に向けてどんな開発をしているのかを知るチャンスもあったから、新しいシーズンに向けての自信と期待が湧いてきたよ。
ヨーロッパに戻って、11月の中旬に高地トレーニングのためスイスのツェルマットへ出かけた。ここでのトレーニングはもっぱらアップヒル・スキー。山をスキーで登るんだけれど、非常に良いトレーニングになるね。ここ数年、このトレーニングをかなり積んできて、これまでにないほど体が鍛えられたと実感している。
11 月の終わりには、04年のシャシーに05年用エンジンとギアボックスを乗せたコンセプトカーのテストが始まった。エンジニアのために、信頼のおけるデータをできるだけ多く取りたいと思ったから、頑張ってほぼ毎日100周は走った。合計で、文字通り何千kmもこなしたよ。おかげで首の筋肉も鍛えられた!
クリスマスにようやく何日か休暇をとって、ルイーズと一緒にイギリスで過ごしたんだ。僕の両親と過ごし、その後、ロンドンの北のアーセナルにいるルイーズの家族を訪ねた。ちょうどサッカーの試合があって、アーセナルがフラムに勝ったんだ。ルーはすごく喜んでいた。彼女は生まれてこのかたずっとアーセナルのサポーターだからね。
12月27日にアメリカのフィスラーに飛んで、スキーを楽しんだ。雪はまあまあっていうところだったけれど、テストの猛襲と新シーズンが始まる前にルーと一緒にリラックスした時間が持てたのがうれしかった。ちなみに、僕らのスキーの腕前は同じくらいだから、ずっと追いかけっこをしながら滑っていたよ。

***

テストは1月の第2週から始まった。僕の場合、新しいマシンに乗った時の第一印象は大抵正しいんだ。10周も走れば、空力やメカニカルグリップ、バランスといった基本的なものの調子が良いかどうか分かる。去年のマシンも良かったけれど、今年はそれより格段に進歩していて、やっぱり良いマシンだということが最初の時点で分かった。
05年の新しいテクニカルレギュレーションは、ダウンフォースを30%もカットするものだった。その中でこれだけ進歩したというのは驚きだよ。チームはすでに失った部分を回復した。また空力部門も新たな開発を重ねていて、2、3レース後にはその成果が導入されるはずだ。メルボルンで分かったように、新しいレギュレーションがF1全体のレベルを均一化した。そしてそのレギュレーションの抜け道をいち早く見つけたチームが、一歩リードできるんだ。
今の僕たちには、開発あるのみ。そして毎戦毎戦を、精いっぱい戦うつもりだ。
ホンダで戦ってきたジェンソンバトン。
ホンダのサイトには毎月ジェンソン・バトンダイアリーが更新されていました。
サイトがなくなると寂しいので、転載させていただきます。


F-Web掲示板から拾ってきました。
悲劇の選手バトン
悲劇の選手バトン

バトンはHONDAと共にチャンピンを目指していたのに・・・

ワークス全盛の中、プライベートでは勝てないと認識し
ワークスに拘り、HONDA復活に全て賭けていたでしょうね。

もし、今回のHONDA撤退で、もう彼の未来は無いでしょう・・

たとえ売却先が決まっても、そのチームはまた1からチームを
作っていきます。

昨年度は常に最下位争いをしていたマシンにノウハウも何も
無いでしょうから、その新チームが結果を出すころには
バトンはもういないでしょう。

若き頃は才能に溢れた選手だったのに、どこで運命の歯車が
狂ったのでしょうね。

同国のハミルトンとの運命の違いを痛感します。



悲劇でもなんでもないよ。
自業自得だろ。



そう、嘆くことも無い。

なぜなら市場に出れば拾うチームが必ずある。

たとえばトロロッソとかね。



>若き頃は才能に溢れた選手だったのに、

ウィリアムズはバトンよりモントーヤを選び
ルノーはバトンよりアロンソを選んだ。
ちょっと才能が足りなかったのかな?

あとはやはりウィリアムズとBAR(ホンダ)間での契約問題で
実質ここ数年他のチームへは移籍できないようになったので
自ら首を絞めた感じは否めないかな。


F1まで上がってこられれば速いクルマは誰が乗っても速いもの。本当の才能とは、遅いクルマでもその中で何か光る走りをするものだが、特にねぇ…彼は。開発能力に疑問があったのが致命的かな。



撤退が正式に発表されちゃったけど、解散か売却かによって、バトンの行方がどうなるかが不安ですね。。。


残りのシートが極僅かになったこの時期に投げ出されるのは、正直、可哀想過ぎるね.... 売却できたとしても、ワークスの可能性は低いだろうしね。
勿論、7月頃に撤退が予想できる状況ではなかったので、仕方ないのですが。

バトンも可哀想だけどエンジニアはもっと可哀想だね。特にここ2年で移籍してきたエンジニア達は。

せめて来年は参戦して欲しかった。せっかくKERSの開発など
来季に向けての明るい話題があったのに・・・

琢磨のシート争いのライバルになりそうな予感・・・

それとも来期は最下位争いをしそうなトロロッソは眼中になく、
2010年のコバライネンのシートを狙うのかなぁ?

バトンは「来年こそいいマシンを作ってくれるよ!」みたいなことずっと言ってましたよね…。本当に浮かばれない。

バトんは仮称バトン航空を立ち上げるようですし、引退後の生活設計を
賢く考えているという感じですね。
ホンダは、F1からは撤退をしますが、モータースポーツからの全面撤退
をすると言っていませんので、今後もバトンとなんらかの関係は続くと
思います。
HPDで進めているルマンのプロジェクトにバトンが乗車するサプライズ
が有ったら楽しいと思いますけれど。



認めたくはないけれど、2000年から見始めた自分にとって、ドイツ国歌→イタリア国歌はF1公式ソングと言っても過言ではありません。
ミハエルがやたら勝って、こればっかり流れてましたからww
懐かしいな。

貴重な画像が集まっていて、見ているだけでものすごく悔しい思いです。
ああ、ホンダ。。。

http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51426684.html

本日、13時30分からホンダの本社である東京の青山で緊急記者会見が行われました。
そこで発表されたのはホンダが2008年シーズンをもってF1から撤退ということ。
ホンダは1960年代の第一期に1勝、1980年代から1990年代の黄金期にはセナというF1界の天才ドライバーを放出し、1988年にはセナプロコンビで16戦15勝という驚異的な成績を残しました。
そして、2000年からの第三期では2004年にコンストラクターランキング2位を獲得し、佐藤琢磨が日本人二人目となる3位表彰台を獲得し、大きく飛躍しました。
そして2006年、雨のハンガリーで悲願の第三期初優勝を成し遂げました。
ドライバーはジェンソン・バトン。
この選手は僕がF1を見始めた年にデビューして、ずっと応援してきました。
いい時も悪い時も。
2003年ホンダと契約して、2008年で6シーズン目。
2006年の優勝から07年、08年とマシン開発に失敗し、大きな不振に陥りました。
しかし、07年後半、フェラーリであのミハエルシューマッハと共に無敵時代を誇った名監督ロスブラウンを獲得し、2010年までにチームを建て直し、チャンピオン獲得に向けて挑戦するというビジョンを打ち出していました。
来年はレギュレーションの大幅な改定により、一番最初に09年のマシン開発に着手し、KERSという技術にも100億円以上の投資をして、来年は期待していました。
バトンの毎年の大口は今年も健在でつい最近、来年に数戦で優勝をするという風に語っていました。
http://f1.gpupdate.net/ja/news/2008/11/28/203970/
http://www.honda.co.jp/F1/spcontents2008/jbdiary/11/

アメリカから始まった金融危機、そして、アメリカビッグ3に見られるような自動車業界の不振。
この2つがF1に与えた影響はとても大きいでしょう。
2010年までの3ヵ年計画を打ち出していただけに、撤退は非常に残念です。
こんな中途半端なときに撤退なんて2008年一番の衝撃です。
スーパーアグリも今年初頭に撤退しちゃったしね。
ホンダは06年のタバコ広告禁止でラッキーストライクがスポンサーから降りて以来、メインスポンサーが見つからず、ホンダのみでF1チームを経営していました。
話によると、200億円の出資のうち、スポンサーからの援助は9億円そこそこだったとのこと。
ホンダというメーカにかかる負担は想像を絶するものだったことでしょう。
しかも、成績が不振ということは賞金や、テレビ放映権料の分配金ももらえません。
昨シーズンダブルタイトルを獲得したフェラーリはありあふれる賞金を開発につぎ込むことでフェラーリ自体の負担も減ったと聞きます。
F1はトップチームと下位チームの格差が開きすぎたように思います。

8年間F1を見てきましたが、いつもホンダとバトンがありました。
ホンダが撤退することにより、バトンがどうなるかとても心配です。
来年のシートで後残っているのが、トロロッソとフォースインディアの2チーム。
トロロッソは琢磨が頑張っているし。。。
ホンダは撤退するけれど、チームの売却を今年中にまとめる方向だそうです。
売却が出来ればシートも安心ですが、どうなるか・・・・
ホンダの撤退により、ホンダとバトン両方をF1から失ったら。。。
言葉がありません。

F1というスポーツを一度見直さなければならない時期に来ているような気がします。
メーカーチーム参戦により、莫大な開発資金の投入。
アグリのようなプライベートチームはもはやF1で1年間戦うことも出来ないでしょう。
エンジンコスト高騰による07年からのエンジン開発凍結も行われました。
ドライバーも半端ない給料もらっているしね。
来年からカナダGPからなくなるけど、F1を開催権料として5年契約で169億6,800万円も払わなきゃいけないんだよ?
カナダで行われるGPは1年でたった1回なのになんでこんなに高いんだろうね。

あーあ、、
なんかぽっかり穴が空いたみたい。
ほんまに何なんやろうな?

日本にはもう一つチームがあったっけ?
とよた?
え?それってどこよ?
活躍はしてほしいけど、やっぱりホンダじゃないとイヤ!!!!
とりあえず06年ハンガリーGP録画したやつ見ます
悲しすぎるやろ





ちなみに下がホンダの声明です。


2008年12月5日(金)

私どもHondaは、このたび、2008年をもってF1レース活動から撤退することを決定いたしました。

サブプライム問題に端を発した金融危機と、それらに伴う信用危機、各国に広がった実体経済の急速な後退により、Hondaを取り巻くビジネス環境は急速に悪化してきています。
当面の世界経済は不透明さを増すばかりであり、回復にはしばらく時間がかかることが予想されます。

Hondaはこの急激かつ大幅な市場環境の悪化に対し、迅速かつフレキシブルに対応をしてきましたが、将来への投資も含め、さらに経営資源の効率 的な再配分が必要との認識から、F1活動からの撤退を決定いたしました。今後のHonda Racing F1 Team、英国でエンジンの供給を行ってきたHonda Racing Development Ltd.については、チーム売却の可能性も含め従業員と協議にはいります。

Hondaは第3期のF1活動として、2000年よりB・A・Rとの共同開発という新しい形での参戦をいたしました。その後のF1を取り巻く環境 変化により2006年よりHondaが100%出資するチームとしての運営に移行しました。最高峰のレースへの挑戦は、思いのほか厳しい道のりでしたが、 多くの応援を頂き、2006年に貴重な1勝をあげることができました。頂いたご声援に十分お応えすることなく撤退の決定をすることは大変困難をともなう決 断でした。

今後は、この激動の時代を生き抜き、レースで培われたチャレンジング・スピリットをもって、様々な新たな課題に引き続き挑戦し続けてまいります。

これまで、ご声援をくださった多くのファンの皆様、そして活動を支えてくださったF1界の皆様に対し、心よりお礼申し上げます。

尚、来年、鈴鹿サーキットでは予定どおりF1日本グランプリを開催いたします。来シーズンに向けての改修工事も順調に進んでおります。

ありがとうございました。

本田技研工業株式会社
代表取締役社長
福井 威夫



0bd441ed.jpg































ミハエルが写っているように、レーシング系のメドレーになっています。
やっぱりTRUTHはいいなぁ☆☆
カウンター
プロフィール
TOPページはこちら
≪ADF(アドエフ)のマイリスト≫
mylist/10775927
Name:
シャーロック・アドラー
Study:
ADF(アドエフ)のMC
Hoby:
F1観戦・コナン・アーセナル
twitterはじめました。
カレンダー
02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
最新CM
[11/27 pdbckfchjr]
[11/09 nalhoeszpn]
[10/31 daemnbuyrq]
[10/29 rhrilwjuzi]
[01/24 アドラー]
FX NEWS

-外国為替-
アクセス解析
ブラウザ紹介

Mozilla Firefox ブラウザ無料ダウンロード
カスタマイズに特化したブラウザ Sleipnir。上級者のために。
Grani
忍者ブログ [PR]